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HP-1850巻8:146注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

有馬山之允純喬

異名・検索語:有馬山之允純喬/有馬純喬/山之允/源四郎/有馬純秀/義久公/祁答院/曽木長野城/鎌田尾張守政年/抜山宗有居士

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:法名の初字は『抜』と読んだが追加校合の余地がある。

DESCRIPTION

本文内容説明

有馬山之允純喬は初め源四郎と称し、有馬豊前守純秀の子。永禄十二年五月二十五日、義久公が祁答院の曽木長野城を攻めた際、鎌田尾張守政年の軍勢に属した。城兵の突出で政年がいったん退いた後も防戦を続け、家僕九人とともに討死した。十七歳。法名は抜山宗有居士、墓所は不詳。

系譜・人物関係

父は有馬豊前守純秀。子に有馬藤七兵衛純房。

奉公・役職

義弘公の命を受けた鎌田尾張守政年の軍勢に属する。

軍役・事績

永禄十二年、祁答院曽木長野城攻めで防戦し、家僕九人と討死。

生没・法名等

永禄十二年五月二十五日没、十七歳。法名は抜山宗有居士。墓所不詳。

統合人物ID
HP-1850
原人物ID群
08-146-05
氏・分類
有馬
掲載巻頁
巻8:146
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
父は有馬豊前守純秀。子に有馬藤七兵衛純房。
検索キーワード
永禄/子/法名/墓/歳/軍役・由緒・役職
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
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公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
人物別AI用PDF全頁を原画像と照合し、前後人物の混入がないことを確認。
判読保留
法名の初字は『抜』と読んだが追加校合の余地がある。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』