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HP-1736巻之四62~63頁/巻之十二231頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

面高頼俊

異名・検索語:面高頼俊/面高真蓮坊頼俊/面高連長坊頼俊/真蓮坊/連長坊

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:名のみの面高連長坊HP-1737/12-231-26との同一性は確定せず、両IDを保持する。/信長返礼使と愛宕山長床坊での祈祷は朱注の記載。井伊殿・山口殿に実名を補わない。/天正八年付先達職文書を関ヶ原後の任命と混同しない。巻十二の頼俊条は名と善哉坊住職小注のみで、軍歴を記さない。

DESCRIPTION

本文内容説明

面高頼俊は英俊の子で、真蓮坊、別掲では連長坊と称する。永禄九年十月十五日の小林城攻めで軍功を挙げ、義昭など諸国への使者を務めた。朱注には織田信長への返礼使も記す。天正四年、善哉坊の院主を追い出して住職となり、同十五年には秀長陣で和睦使を務め、山田有信の高城下城や人質の処理に関わった。竜伯・惟新公の上洛に供奉し、朱注は愛宕山長床坊で竜伯の病気平癒を祈ったとする。慶長五年、入来院重時と家康に謁見。関ヶ原後も老齢を押して井伊・山口両氏らとの和談を整え、百石を受けたという。末尾には天正八年十二月七日付の日州両院先達職を認める文書を載せるが、これは関ヶ原後の任命ではない。生没年・没地は記されない。

系譜・人物関係

英俊の子。本伝は真蓮坊、巻十二は連長坊頼俊と記し善哉坊住職の小注がある。別見出し面高連長坊HP-1737との同一性未確定。

奉公・役職

義昭等諸国への使者。善哉坊住職、秀長陣和睦使、竜伯・惟新上洛供奉。信長返礼使は朱注。

軍役・事績

永禄九年小林城軍労、高城開城と人質処理、慶長五年家康謁見、関ヶ原後の和談と百石褒賞。竜伯病気平癒祈祷は朱注。天正八年の先達職文書を別時期として区別。

生没・法名等

生没年月日・没地は無記載。老齢の記述から年齢を推定しない。

統合人物ID
HP-1736
原人物ID群
04-062-07/12-231-25
氏・分類
面高
掲載巻頁
巻之四62~63頁/巻之十二231頁
主題・活動
諸国使者・善哉坊住職・和睦交渉・病気平癒祈祷・日州両院先達職
人物関係要約
英俊の子。本伝は真蓮坊、巻十二は連長坊頼俊と記し善哉坊住職の小注がある。別見出し面高連長坊HP-1737との同一性未確定。
検索キーワード
面高/頼俊/英俊/真蓮坊/連長坊/小林城/義昭/信長/善哉坊/秀長/高城/山田有信/竜伯/惟新/愛宕山/長床坊/祈祷/入来院重時/家康/関ヶ原/井伊/山口/百石/日州両院先達職/上井覚兼/伊集院忠棟
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
二出典の通常AI各計3頁と原冊62~63・231頁を照合。本文・朱注・先達職文書を区別。
公開判定根拠
使者・和睦・祈祷・百石褒賞を照合。文書年代と別見出しの同人未確定を明記し公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
巻四62頁下段の〇面高真蓮坊頼俊から63頁上段の日州両院先達職文書末尾・伊集院右衛門大夫忠棟判まで通常AI各2頁。前条面高石泉坊英俊・次条面高真蓮坊俊昌は別人物。巻十二12-231-25は一面高連長坊頼俊と善哉坊住職小注のみで、別見出し面高連長坊を含めない。境界・ID維持、PDF変更なし。
判読保留
名のみの面高連長坊HP-1737/12-231-26との同一性は確定せず、両IDを保持する。/信長返礼使と愛宕山長床坊での祈祷は朱注の記載。井伊殿・山口殿に実名を補わない。/天正八年付先達職文書を関ヶ原後の任命と混同しない。巻十二の頼俊条は名と善哉坊住職小注のみで、軍歴を記さない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』