← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-1538巻8:134~135注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

福永丹波守

異名・検索語:福永丹波守/丹波守

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:主君名は見出しに義秋、本文に義祐とある。見出しの表記を無断で統一しない。/人質交換相手の細字人名と松千代丸脇の小注は追加校合を要する。十三歳の本文は確認。/加治木の記載は居住時期を明記しない。没年・没地は当条に記されない。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊東家の臣で日向野尻城代。島津方が作った反間状を伊東義祐が信じ、内通を疑われたという。十三歳の子松千代丸を元服のため佐土原へ送ったが許されず、高原地頭上原長門守尚常の勧めで島津方への帰属を決意。天正五年十二月、嫡子を差し出す人質交換を約し、七日夜半に高原勢の先手三十人ほどを野尻へ導き、順次約三百人を本丸へ入れた。寅刻ごろ妻が矢倉から伊東方の番兵に帰属変更と退去を告げ、城兵は逃走したと記す。翌八日、忠平を迎え、手勢約八百人と野尻原へ出て恭順した。この一連の働きにより竜伯から野尻一城の感状を受けた。見出しには加治木にいたとある。没年・没地は当条に記されない。

系譜・人物関係

子に松千代丸、本文十三歳。内室が野尻城の矢倉から伊東方番兵へ呼びかける。上原尚常は別人の勧誘者で本人の異名ではない。

奉公・役職

伊東家の臣、日向野尻城代。島津方へ帰属。加治木にいたと見出しに記すが居住時期は明示しない。

軍役・事績

天正五年十二月七日夜、野尻へ高原勢の先手三十人、順次約三百人を引き入れる。妻が退去を告げた後、翌八日に手勢約八百人と忠平を迎える。竜伯から野尻一城の感状。

生没・法名等

没年・没地は当条に記されない。

統合人物ID
HP-1538
原人物ID群
08-134-15
氏・分類
福永
掲載巻頁
巻8:134~135
主題・活動
野尻城代・反間状・島津方帰属・野尻城引き入れ・感状
人物関係要約
子に松千代丸、本文十三歳。内室が野尻城の矢倉から伊東方番兵へ呼びかける。上原尚常は別人の勧誘者で本人の異名ではない。
検索キーワード
福永丹波守/伊東義祐/野尻城代/反間状/松千代丸/上原長門守尚常/高原/佐土原/人質/本丸/忠平/竜伯/加治木
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI全3頁・原冊134~135頁・修復全3頁確認済。主君名表記・人質相手細字等は留保。
公開判定根拠
反間状・帰属変更・野尻城引き入れの経緯を本文から整理。妻の呼びかけと兵数の段階を区別し、主君名表記等の疑義を付して検索公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
冊134頁下段の一福永丹波守と加治木ニアリ小注から、冊135頁上段の五年十二月七日以下と下段の感状受領末尾まで。○丹波守は同人の詳述開始で新人物ではない。次の○橋永宮内少輔は別記事で除く。通常AI各3頁・既存ID維持。
判読保留
主君名は見出しに義秋、本文に義祐とある。見出しの表記を無断で統一しない。/人質交換相手の細字人名と松千代丸脇の小注は追加校合を要する。十三歳の本文は確認。/加治木の記載は居住時期を明記しない。没年・没地は当条に記されない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』