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HP-1516巻之三56頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

冨松久友

異名・検索語:冨松左京亮久友/冨松久友/左京亮

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

久義付近の朱書異注は字形・置換範囲未確定。十二月二十八日は久友、翌二十九日は猿渡某の戦死日。

DESCRIPTION

本文内容説明

冨松久友。左京亮。伊集院忠国の十五男・飛松相模守久義の七代の子孫とし、父を左京亮久元、子孫を伊集院弥七と記す。久義の名には朱書異注がある。天文七年十二月二十八日の加世田城攻めで、敵の大山宮内少輔と刺し違えて戦死した。同月二十九日の落城時には猿渡某も敵の市来某と刺し違えて死に、両氏の墓は城門の左右にあり、冨松・猿渡の墓と呼ばれたという。『支流系図』を引く小注は攻城五日前に加世田へ進んだとする。年齢・法名は記されない。

系譜・人物関係

伊集院忠国十五男・飛松相模守久義の七代の子孫。父は左京亮久元、子孫は伊集院弥七。久義付近の朱書異注は字形と置換範囲を留保。

奉公・役職

左京亮と称する。主君・役職任命の具体的記述はない。

軍役・事績

天文七年十二月二十八日、加世田城攻めで敵大山宮内少輔と刺し違えて戦死。支流系図を引く割注には攻城五日前に加世田へ進んだとある。

生没・法名等

天文七年十二月二十八日、加世田城攻めで戦死。翌二十九日は猿渡某の戦死日。両氏の墓は城門左右に在り冨松猿渡之墓と呼ぶ。年齢・法名は記されない。

統合人物ID
HP-1516
原人物ID群
03-056-06
氏・分類
冨松
掲載巻頁
巻之三56頁
主題・活動
加世田城攻め・戦死・墓所
人物関係要約
伊集院忠国十五男・飛松相模守久義の七代の子孫。父は左京亮久元、子孫は伊集院弥七。久義付近の朱書異注は字形と置換範囲を留保。
検索キーワード
冨松/久友/左京亮/伊集院忠国/飛松久義/久元/伊集院弥七/天文七年/十二月二十八日/加世田/大山宮内少輔/猿渡/市来/戦死/墓
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁・原冊照合済。年月・戦死主体訂正、系譜朱異注保持。
公開判定根拠
久友本人の戦死日・相手・墓記事を確認。系譜朱異注は留保を明記して公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
一冨松左京亮久友から左右曰冨松猿渡之墓まで。支流系図は割注で久友から子孫へ主語は切り替わらない。猿渡某の翌日戦死は関連叙述で独立見出しなし。通常AI各全1頁を原冊68頁と照合。左2pt縮小・右8pt拡張、右上の前条文字片のみ白被覆し、右下の系譜朱異注を保持。旧PDF・ID・OCR保持。
判読保留
久義付近の朱書異注はイ公のように見えるが字形と置換範囲を留保し、久公と確定しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』