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HP-1505巻之十二:225/巻之十三:246注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

菱刈大膳亮隆秋

異名・検索語:菱刈隆秋/菱刈大膳亮隆秋/菱刈大膳亮隆秋 弾正

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:具体的な戦場名・相良方人質の関係は一部再校合余地。国賊伝は史料の分類名であり、現代の人物評価に転用しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

菱刈大膳亮隆秋は弾正とも称し、天岩の三男。甥の重広が五歳で父重猛を失ったため家督を代行した。永禄十年、相良氏と結び、馬越・横川などを守らせたが島津軍に諸城を落とされ、大口城に籠もった。十一年には堂崎・飛田瀬などで戦い、市山・馬越にも出撃した。十二年正月、野田感応寺の僧を介して和平したが、再び約束を破り、深水頼益に薄地を討たせた。五月、島津軍の伏兵で菱刈・相良方百三十余人を失い、八月には大口城を包囲された。九月十日に降伏を申し出、双方の人質交換を経て十四日に球磨へ退去した。巻十二は国賊伝を参照させる短項。

系譜・人物関係

天岩の三男、重広の叔父で家督代行。相良氏と同盟。

奉公・役職

幼少の重広に代わる家督代行。大口城防衛。

軍役・事績

永禄十~十二年、馬越・横川・大口・市山・堂崎・飛田瀬等で島津軍と抗争。十二年九月降伏、球磨退去。

生没・法名等

生没年・没地・法号は記載なし。永禄十二年九月十四日球磨へ退去。

統合人物ID
HP-1505
原人物ID群
12-225-06/13-246-03
氏・分類
菱刈
掲載巻頁
巻之十二:225/巻之十三:246
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
天岩の三男、重広の叔父で家督代行。相良氏と同盟。
検索キーワード
幼少の重広に代わる家督代行。大口城防衛。/永禄十~十二年、馬越・横川・大口・市山・堂崎・飛田瀬等で島津軍と抗争。十二年九月降伏、球磨退去。/生没年・没地・法号は記載なし。永禄十二年九月十四日球磨へ退去。
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
巻十二1頁の参照項目と巻十三2頁の本伝。巻十三第2頁は「菱刈平定ス」までを保持し、その後の渋谷党総説を人物PDFから除外。除外部分は修正前バックアップに保持。
判読保留
具体的な戦場名・相良方人質の関係は一部再校合余地。国賊伝は史料の分類名であり、現代の人物評価に転用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』