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菱刈大膳亮隆秋
異名・検索語:菱刈隆秋/菱刈大膳亮隆秋/菱刈大膳亮隆秋 弾正
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:具体的な戦場名・相良方人質の関係は一部再校合余地。国賊伝は史料の分類名であり、現代の人物評価に転用しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
菱刈大膳亮隆秋は弾正とも称し、天岩の三男。甥の重広が五歳で父重猛を失ったため家督を代行した。永禄十年、相良氏と結び、馬越・横川などを守らせたが島津軍に諸城を落とされ、大口城に籠もった。十一年には堂崎・飛田瀬などで戦い、市山・馬越にも出撃した。十二年正月、野田感応寺の僧を介して和平したが、再び約束を破り、深水頼益に薄地を討たせた。五月、島津軍の伏兵で菱刈・相良方百三十余人を失い、八月には大口城を包囲された。九月十日に降伏を申し出、双方の人質交換を経て十四日に球磨へ退去した。巻十二は国賊伝を参照させる短項。
系譜・人物関係
天岩の三男、重広の叔父で家督代行。相良氏と同盟。
奉公・役職
幼少の重広に代わる家督代行。大口城防衛。
軍役・事績
永禄十~十二年、馬越・横川・大口・市山・堂崎・飛田瀬等で島津軍と抗争。十二年九月降伏、球磨退去。
生没・法名等
生没年・没地・法号は記載なし。永禄十二年九月十四日球磨へ退去。
- 統合人物ID
- HP-1505
- 原人物ID群
- 12-225-06/13-246-03
- 氏・分類
- 菱刈
- 掲載巻頁
- 巻之十二:225/巻之十三:246
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 天岩の三男、重広の叔父で家督代行。相良氏と同盟。
- 検索キーワード
- 幼少の重広に代わる家督代行。大口城防衛。/永禄十~十二年、馬越・横川・大口・市山・堂崎・飛田瀬等で島津軍と抗争。十二年九月降伏、球磨退去。/生没年・没地・法号は記載なし。永禄十二年九月十四日球磨へ退去。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 巻十二1頁の参照項目と巻十三2頁の本伝。巻十三第2頁は「菱刈平定ス」までを保持し、その後の渋谷党総説を人物PDFから除外。除外部分は修正前バックアップに保持。
- 判読保留
- 具体的な戦場名・相良方人質の関係は一部再校合余地。国賊伝は史料の分類名であり、現代の人物評価に転用しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』