← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-1072巻4:61~62/巻11:213注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

大島忠泰

異名・検索語:大島忠泰/大島出羽守忠泰/島津忠泰/島津出羽守忠泰/出羽守/大島休左衛門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:見出し小注は初高城主馬・重貞・中比島津と読めるが、間のガらしい字と句切りの解釈を留保し、初名として確定しない。/東郷氏系譜小注の重理等の字形・接続は留保。本文の父重誠・母忠明娘・養父明久と区別する。/有久・忠福・忠明・明久の戦死年や年齢を忠泰本人へ転記しない。還俗・相続年、生没年・享年は記載がない。/巻十一は明久養子・休左衛門への改名と伝部参照の簡記。巻四の軍役・没地・和歌を巻十一の記載と混同しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

大島出羽守忠泰は高城備前守重誠の嫡子、母は大島忠明の娘。幼少から真言宗の僧となり、数年京都に滞在した。忠明父子の死で嗣子が絶えたため、義久の命で還俗し、明久の跡を継いだ。羽月大島村で新地三百石を与えられ、馬越・山野などの地頭を務めた。肥後・豊後へ供奉し、馬越から朝鮮に出陣。泗川合戦では矢倉一間・狭間二か所を預かり、父子で敵営へ打ち入ったと記す。朝鮮陣の始終日記があったという。帰朝後、大島休左衛門と改名。馬越で没し、墓は同地の長寿寺、法号は長寿寺殿空観蓮軒と記される。長州三島漂着時、新納忠元の贈歌への返歌、馬越出立・更衣・卯花の歌を載せる。還俗・相続年、生没年・享年は記されず、冒頭の父祖の戦死年月とは区別する。巻十一にも明久養子・休左衛門への改名が見える。

系譜・人物関係

高城備前守重誠の嫡子、母は大島忠明の娘。明久の養子として跡を継ぐ。有久・忠福・忠明・明久の先行系譜記事は忠泰本人の生没情報ではない。泗川では父子で戦ったと記すが、本条は子の名を記さない。

奉公・役職

真言宗出家・京都滞在、義久命による還俗・明久跡相続。新地三百石、馬越・山野等地頭。帰朝後大島休左衛門改名。

軍役・事績

肥後豊後御供、馬越から朝鮮出陣。泗川で矢倉一間・狭間二箇所を預かり父子で敵営へ打入。朝鮮陣始終日記の存在と和歌を記す。

生没・法名等

馬越没、長寿寺墓所、長寿寺殿空観蓮軒。生没年月日・享年は無記載で父祖の記事から推定しない。

統合人物ID
HP-1072
原人物ID群
04-061-04/11-213-04
氏・分類
大島
掲載巻頁
巻4:61~62/巻11:213
主題・活動
還俗・養嗣・馬越山野地頭・朝鮮出陣・泗川合戦・和歌
人物関係要約
高城備前守重誠の嫡子、母は大島忠明の娘。明久の養子として跡を継ぐ。有久・忠福・忠明・明久の先行系譜記事は忠泰本人の生没情報ではない。泗川では父子で戦ったと記すが、本条は子の名を記さない。
検索キーワード
大島/島津/忠泰/出羽守/休左衛門/高城/重誠/忠明/明久/真言宗/還俗/義久/羽月/三百石/馬越/山野/地頭/肥後/豊後/朝鮮/泗川/日記/長寿寺/長寿寺殿空観蓮軒/長州三島/新納忠元/和歌
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
二出典の通常AI計各3頁・原冊・初名系譜小注拡大を照合。父祖と本人の事績を区別。
公開判定根拠
二出典の養嗣・改名を照合し、本人の軍役・没地・墓所を確認。初名系譜小注を留保して公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
巻四冊子61頁下段の一大島出羽守忠泰から62頁上段の和歌末尾「此外和歌多シ」まで通常AI各全2頁で連続。冒頭父祖は関連系譜、次の大島久左衛門忠盛は独立条で含まない。巻十一213頁11-213-04は通常AI各1頁の別記事で、前の明久と次の忠続を含まない。既存境界・IDを維持、PDF変更なし。
判読保留
見出し小注は初高城主馬・重貞・中比島津と読めるが、間のガらしい字と句切りの解釈を留保し、初名として確定しない。/東郷氏系譜小注の重理等の字形・接続は留保。本文の父重誠・母忠明娘・養父明久と区別する。/有久・忠福・忠明・明久の戦死年や年齢を忠泰本人へ転記しない。還俗・相続年、生没年・享年は記載がない。/巻十一は明久養子・休左衛門への改名と伝部参照の簡記。巻四の軍役・没地・和歌を巻十一の記載と混同しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』