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HP-1053巻4:67注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

大河平隆商

異名・検索語:大河平隆商/大河平治部少輔隆商/治部少輔

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:養父隆俊の通称は細字の主記と小右衛門の別注が併記され、主記の一字は判読留保。旧説明の小左衛門を確定読としては採用しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

大河平隆商は隆俊の養子で、実父は同族の源太左衛門隆重。慶長四年、十七歳で庄内へ出陣し、山田城攻めで人々より先に進もうとして脇から袖を引き留められた。落城後は城門の鍵を預かったという。本文では翌五年、伊東家臣で清武地頭の稲津掃部助が反逆した際、八代と宮崎の間で敵一人を討ち、同年十二月に忠平公へ願い出て隆俊の跡を継いだ。元和八年十一月、家久公が参勤で飯野を通った際に上江で拝謁し、治部少輔へ改名。寛永十二年七月二十二日に五十三歳で病没し、法号は財室宗貨居士。

系譜・人物関係

隆俊養子、実父は同氏源太左衛門隆重でその嫡子。養父通称には細字併記があり一字留保。

奉公・役職

同年十二月忠平公へ奉願して隆俊一跡を相続。元和八年十一月家久公参勤・飯野御通行時、上江で御目見して治部少輔へ改名。

軍役・事績

慶長四年十七歳で庄内山田城攻め。先に掛け出そうとして脇から袖を引留められた由、落城後に城門の鑰を預かった由。本文では同五年、伊東家臣清武地頭稲津掃部助の逆の時、八代と宮崎の間で敵一人を討取。旧稲葉を稲津へ訂正し本文の年記を保持。

生没・法名等

寛永十二年七月廿二日五十三歳病死、法号財室宗貨居士。旧十月を七月、宗賢を宗貨へ訂正。没地・墓所は記載なし。

統合人物ID
HP-1053
原人物ID群
04-067-01
氏・分類
大河平
掲載巻頁
巻4:67
主題・活動
山田城軍役・家督相続・改名
人物関係要約
隆俊養子、実父は同氏源太左衛門隆重でその嫡子。養父通称には細字併記があり一字留保。
検索キーワード
大河平隆商/治部少輔/隆俊/源太左衛門隆重/庄内/山田城/城門の鍵/稲津掃部助/清武地頭/八代/宮崎/忠平公/家久公/上江/寛永十二年七月二十二日/財室宗貨居士
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁・原冊照合、修正通常AI各全1頁確認済。
公開判定根拠
隆俊養子・隆重嫡子、山田城軍役・鍵預かり・相続改名を確認。稲津・七月廿二日・宗貨を訂正。養父通称小注の一字のみ留保し注記付き公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
〇大河平治部少輔隆商から病死・法号まで同一人物記事。養家と実父の小注は本人の系譜で独立見出しではない。左隣〇大河平休兵衛隆賢と区別。初回左2pt縮小では隣条朱片が残ったため不採用。第2候補は左5pt縮小・上端735ptで本文・〇・系譜小注・法号朱表示を保持し通常AI各全1頁確認。既存ID維持、新番号不要。
判読保留
養父隆俊の通称は細字の主記と小右衛門の別注が併記され、主記の一字は判読留保。旧説明の小左衛門を確定読としては採用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』