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HP-0768巻之四60頁公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

上井秀秋

異名・検索語:上井秀秋/上井次郎左衛門秀秋 入道伝斎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

公開可

入道伝斎は本文の入道名。生年・没年月日・享年・墓所は記載なし。

DESCRIPTION

本文内容説明

上井次郎左衛門秀秋、入道伝斎は、武蔵守薫兼の二男で覚兼の弟。筑前守為秋の弟・三河守親秋の養子となった。惟新公の家老役まで務め、飯野に居住した。元亀三年の木崎原合戦で軍功を立て、その功により馬関田地頭となった。天正十年十二月に肥後八代へ赴き、十四年七月の岩屋城攻めの時には八代にいた。その後、小林・綾などの地頭に移り、綾で病没した。見出しの小注に子孫として諏訪市右衛門を挙げる。生年・没年月日・享年・墓所は本文に記載されない。

系譜・人物関係

実父は武蔵守薫兼、二男で覚兼の弟。筑前守為秋の弟・三河守親秋の養子。子孫諏訪市右衛門の小注は本人の異名でない。

奉公・役職

惟新公の家老役まで勤め飯野に居住。元亀三年木崎原役の功により馬関田地頭。その後小林・綾などの地頭。

軍役・事績

天正十年十二月肥後八代へ赴く。十四年七月の岩屋城攻め時には八代にいた。秀秋が岩屋城攻めに参加したとは書かれていない。末尾は木崎原軍功と地頭歴を再記する。

生没・法名等

綾で病死。生年・没年月日・享年・墓所の記載なし。伝斎は入道名で没後法名とは断定しない。

統合人物ID
HP-0768
原人物ID群
04-060-02
氏・分類
上井
掲載巻頁
巻之四60頁
主題・活動
家老役・木崎原軍功・馬関田小林綾地頭・綾病没
人物関係要約
実父は武蔵守薫兼、二男で覚兼の弟。筑前守為秋の弟・三河守親秋の養子。子孫諏訪市右衛門の小注は本人の異名でない。
検索キーワード
上井秀秋/次郎左衛門/入道伝斎/薫兼/覚兼/為秋/親秋/諏訪市右衛門/惟新公/家老/飯野/木崎原/馬関田/天正十年/天正十四年/肥後八代/岩屋城/小林/綾
公開区分
公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁・原冊照合済。天正十年・十四年を確認し年記誤読を訂正。実父と養父を区別。
公開判定根拠
出自・養子関係・家老役・木崎原軍功・地頭歴・綾病没を原冊で確認し、年記誤読を訂正した。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
一上井次郎左衛門秀秋入道伝斉から於綾病死まで全5列。朱書引用の前後とも秀秋に関する記事であり、末尾の地頭歴・軍功・綾病死の再記は別人物ではない。前条経兼、次条里兼の本文を取り込まない。通常AI各全1頁と原冊60頁上段を照合し境界変更不要。
判読保留
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出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』