HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
指宿忠次
異名・検索語:指宿忠次/指宿能登守忠次/能登守/忠次
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:末尾の墓誌には忠次カとの注があり、山田有信への従軍・高城城守・関ヶ原の忠勤を忠次または忠政の事績と断定しない。/忠政の法名は呂卜利繁居士と見えるが冒頭二字を留保する。系譜小注の入道名・清八左衛門の表記関係・欄外注、覚兼日記引用の月次細字を留保する。
DESCRIPTION
本文内容説明
指宿忠次は能登守。本文は指宿郡司彦次郎入道の子孫とし、姉が島津常久の妻だったと記す。本人の具体的軍歴・没年月日は記されず、記事は子孫へ続く。子の清左衛門忠政は初め式部左衛門と称し、関ヶ原退陣に供奉、高麗でも軍功を挙げ、感状と百石を受けた。寛永2年3月11日に83歳で没し、墓は福山不動寺。忠政の子内蔵助は寛永5年に福山から出水へ召し移され、10月11日に移住加増50石を受け、計150石となった。末尾の墓誌は山田有信への従軍、新納院高城の城守、関ヶ原で有信の子弥九郎信栄を助け主君を守ったことを伝えるが、「忠次カ」との注があり事績の帰属を留保する。法名字形と系譜小注にも留保がある。
系譜・人物関係
忠次は能登守。指宿郡司彦次郎入道の子孫とし、姉は島津常久の妻と記す。子は清左衛門忠政(初式部左衛門)、孫は内蔵助。冒頭の清八左衛門表記・入道名等の細字は別途留保。子孫指宿清左衛門との小注。
奉公・役職
忠次の官途は能登守。子忠政の関ヶ原退陣供奉・高麗諸所の軍功に対し感状と百石。孫内蔵助は寛永5年福山から出水へ召移、10月11日移加増50石、都合150石。本人の知行・役職へ流用しない。
軍役・事績
覚兼日記の天正11年記事に高城の山田新助殿の使・指宿清左衛門と記す(月次留保)。称名墓志引用は山田新助有信に従い天正15年新納院高城城守、慶長5年関ヶ原で有信の子弥九郎信栄を助け、主君の左右を守って帰還、百石の感賞という軍歴。ただし忠次カの注があるため忠政の軍功と確定しない。旧島城は高城へ訂正。
生没・法名等
子忠政は寛永2年乙丑3月11日83歳卒。法名は呂卜利繁居士と見えるが冒頭二字留保。墓は福山不動寺。忠次本人と孫内蔵助の没年月日・没地は不記載。忠政の墓所と没地を同一と断定しない。
- 統合人物ID
- HP-0677
- 原人物ID群
- 01-021-02
- 氏・分類
- 指宿
- 掲載巻頁
- 巻1:21
- 主題・活動
- 家系由緒・子孫の軍役・墓誌帰属留保
- 人物関係要約
- 忠次は能登守。指宿郡司彦次郎入道の子孫とし、姉は島津常久の妻と記す。子は清左衛門忠政(初式部左衛門)、孫は内蔵助。冒頭の清八左衛門表記・入道名等の細字は別途留保。子孫指宿清左衛門との小注。
- 検索キーワード
- 指宿忠次/能登守/指宿郡司彦次郎入道/島津常久/指宿清左衛門忠政/式部左衛門/高麗/関ヶ原退陣/百石/寛永二年三月十一日/八十三歳/福山不動寺/内蔵助/出水/寛永五年十月十一日/五十石加増/百五十石/覚兼日記/称名墓志/新納院高城/山田有信/弥九郎信栄/忠次カ
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 旧AI・通常各全1頁、原冊21頁主文・小注・墓誌、修復AI・通常各全1頁を確認。系譜・法名・墓誌帰属等を留保。
- 公開判定根拠
- 本人・子・孫を分け、忠政没年月日と内蔵助加増を確読。忠次カの注を示し墓誌帰属を留保して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 旧AI・通常各全1頁と原冊21頁上段の主文・小注・墓誌を照合。一指宿能登守忠次から子忠政・孫内蔵助の記録、覚兼日記と称名墓志の引用を経て御感賞ヲ賜フまで一記事。忠次カの注も含む。現用右端で欠けた系譜・同氏別判小注を回復し、修復AI・通常各全1頁で末尾を含め確認。前項今井貞則の候と次項伊佐敷の見出しは除く。子孫への移行は明示された関連家族記事で新規分割しない。1頁・ID・旧OCR維持。
- 判読保留
- 末尾の墓誌には忠次カとの注があり、山田有信への従軍・高城城守・関ヶ原の忠勤を忠次または忠政の事績と断定しない。/忠政の法名は呂卜利繁居士と見えるが冒頭二字を留保する。系譜小注の入道名・清八左衛門の表記関係・欄外注、覚兼日記引用の月次細字を留保する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』