HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
市来下総
異名・検索語:市来下総/下総
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
新納忠元が下総および家臣立木玄蕃らを連れたと読む。立木を下総の家臣とする主従関係は確定しない。人名新納忠元は本文表記を保持し、別史料から他名へ補正しない。/肥後の後は三河と読めるが地名字形・同定を留保する。原見出しは市来下総で守は付記されていないため、本文表記を保持する。
DESCRIPTION
本文内容説明
市来下総。天正年間の御軍談合六十四人の一人。天正十四年正月、新納忠元の肥後出陣の記事に登場する。本文は、忠元が下総および家臣立木玄蕃らを連れ、敵を誘って降らせたと読む。従来、立木らを下総の家臣と説明したが、その主従関係は断定しない。出陣先は「肥後三河」と読めるものの、後半の地名の表記・同定は留保する。諱、系譜、知行、生没年・法号・没地・墓所は記されない。
系譜・人物関係
諱・父祖・子孫は不記載。本文の下総及家臣立木玄蕃等ヲ連シの主語は新納忠元と読む。立木玄蕃を下総の家臣とする旧説明は断定を撤回。
奉公・役職
天正中御軍談合六十四人の一人。主君・在職期間・知行は不記載。
軍役・事績
〇同十四年正月新納忠元肥後三河ニ出陣此時下総及家臣立木玄蕃等ヲ連シ敵ヲ誘キ降ラシム。新納忠元が下総らを連れたと読み、立木を下総家臣と断定しない。地名三河は留保。
生没・法名等
生没年・法号・没地・墓所は不記載。
- 統合人物ID
- HP-0644
- 原人物ID群
- 01-016-04
- 氏・分類
- 市来
- 掲載巻頁
- 巻1:16
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 諱・父祖・子孫は不記載。本文の下総及家臣立木玄蕃等ヲ連シの主語は新納忠元と読む。立木玄蕃を下総の家臣とする旧説明は断定を撤回。
- 検索キーワード
- 市来下総/御軍談合/六十四人/天正十四年/正月/新納忠元/肥後/三河(表記同定留保)/立木玄蕃/降伏
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全1頁・通常全1頁・原冊16頁・修復通常AI各1頁照合済み。
- 公開判定根拠
- 軍談合と肥後出陣を具体化し、主従関係・地名の留保を明示して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- AI全1頁・通常全1頁・原冊16頁(第1分冊27頁)・地名拡大・修復通常AI各1頁を照合。一市来下総から御軍談合六十四人、〇同十四年正月新納/忠元肥後三河ニ出陣以下、降ラシム末尾まで全3列を保持。〇は同じ下総の関連記事で人物境界ではない。左右の余白を調整し隣佐介文字片を除去。既存ID維持、新規採番なし。
- 判読保留
- 新納忠元が下総および家臣立木玄蕃らを連れたと読む。立木を下総の家臣とする主従関係は確定しない。人名新納忠元は本文表記を保持し、別史料から他名へ補正しない。/肥後の後は三河と読めるが地名字形・同定を留保する。原見出しは市来下総で守は付記されていないため、本文表記を保持する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』