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HP-0620巻7:123~124注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

山田有栄

異名・検索語:山田民部少輔有栄/入道日巌/弥九郎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:母方の人名と法名・入道号の細字は追加校合を要する。没日は原冊の九月二日として整理し、旧説明の九月一日は採らない。葬所の普光寺と塔の所在の竜光寺を区別する。

DESCRIPTION

本文内容説明

山田民部少輔有栄。有信の嫡子。天正十五年、父が高城を明け渡す際の人質として豊臣方に預けられた。文禄四年に朝鮮へ渡り、忠恒に仕えて在陣した。関ヶ原では豊久の先陣右備に属し、退却中に義弘と合流、木脇祐秀らと護衛し、桂忠詮と交互に殿を務めたと記す。帰国後に二百石を加増され、駿府への使者も務めた。寛永六年に出水地頭、同十二年に家老となり、天草・島原への出兵、琉球使節の江戸参府に関わった。慶安三年に家老を退き、寛文八年九月二日、出水で病死、九十一歳と記す。出水普光寺に葬り、塔は竜光寺にあるという。末尾に有栄の歌を収録。母方の人名・法名の細字は留保する。

系譜・人物関係

山田有信の嫡子。母方の人名細字は留保。忠恒に奉公し、関ヶ原で豊久の先陣右備、退却時は義弘を護衛。

奉公・役職

帰国後二百石加増。駿府への使者。寛永六年出水地頭、十二年家老、慶安三年退任。

軍役・事績

高城開城時の人質。朝鮮役・関ヶ原に従軍、退却時に桂忠詮と殿を交替。天草・島原への出兵と琉球使節江戸参府に関わる。

生没・法名等

寛文八年九月二日、出水で病死、九十一歳。普光寺に葬り塔は竜光寺と記す。法名の細字は留保。

統合人物ID
HP-0620
原人物ID群
07-123-01
氏・分類
山田
掲載巻頁
巻7:123~124
主題・活動
高城人質・関ヶ原退却護衛・出水地頭・家老・琉球使節
人物関係要約
山田有信の嫡子。母方の人名細字は留保。忠恒に奉公し、関ヶ原で豊久の先陣右備、退却時は義弘を護衛。
検索キーワード
山田有栄/民部少輔/山田有信/高城/人質/朝鮮/関ヶ原/義弘/桂忠詮/出水地頭/家老/琉球使節/普光寺/竜光寺
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI全3頁・原冊123~124頁・修復全3頁確認済。母方人名と法名・入道号の細字は留保。
公開判定根拠
高城人質・朝鮮役・関ヶ原退却護衛・出水地頭と家老・使節対応を本文から整理。没日と葬所・塔の所在を訂正し細字留保を付けて検索公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
冊123頁下段の山田民部少輔有栄見出しから124頁上段本文と下段右端の歌続文まで。123頁下段右の父有信への追悼歌と124頁下段の山田弥九郎有宗以下は別記事で除外。見出し小注の右端を回収。3頁構成・既存ID維持。
判読保留
母方の人名と法名・入道号の細字は追加校合を要する。没日は原冊の九月二日として整理し、旧説明の九月一日は採らない。葬所の普光寺と塔の所在の竜光寺を区別する。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』