HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
座頭了公
異名・検索語:座頭了公/了公/寿長院
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
座頭了公は天台宗の盲僧で、後に寿長院と称したと記す。本文によれば天文二年、南郷城主桑波田孫六が反した際、日新公の命で動静を探った。三月二十九日に孫六が城外へ狩りに出ると急報し、日新公が兵を進めて南郷城を落とす助けとなった。この功により加世田・田布施・伊作高橋に宅地を与えられ、盲僧の長とされたという。ただし付記は南郷での間者奉公を天文元年と記し、年次が一致しない。伊作田尻村に葬り、石塔があって寺を後に興国寺と呼んだとの伝承も載せる。生年・没年・享年、実際の没地は不明。長い付記には盲僧の歴代や家村氏の系譜が含まれる。
系譜・人物関係
後に寿長院と称すとする。家村氏記録との対応を編者が考証。歴代盲僧・家村重実と子孫は関連付記。
奉公・役職
天台宗の盲僧。日新公の間者として奉公。功により盲僧の長、加世田・田布施・伊作高橋の宅地を賜ると伝える。
軍役・事績
桑波田孫六の動静を探索し、三月二十九日の狩りへの外出を通報。南郷落城に貢献。本文天文二年、付記天文元年。
生没・法名等
伊作田尻村に葬られ石塔があるとする伝承。生年・没年・享年・没地は不明。
- 統合人物ID
- HP-0528
- 原人物ID群
- 12-234-04
- 氏・分類
- 座頭
- 掲載巻頁
- 巻12:234
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 後に寿長院と称すとする。家村氏記録との対応を編者が考証。歴代盲僧・家村重実と子孫は関連付記。
- 検索キーワード
- 座頭了公/座頭了公/了公/寿長院/天台宗の盲僧。日新公の間者として奉公。功により盲僧の長、加世田・田布施・伊作高橋の宅地を賜ると伝える。/桑波田孫六の動静を探索し、三月二十九日の狩りへの外出を通報。南郷落城に貢献。本文天文二年、付記天文元年。/伊作田尻村に葬られ石塔があるとする伝承。生年・没年・享年・没地は不明。
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 復元後全2頁。冒頭小注を復元。旧3頁目の座頭三徳院真成は独立見出しで12-234-04-02へ分離。〇印の歴代・家村氏・盲僧由緒は関連付記として保持。
- 判読保留
- 了公の南郷奉公と、忠久に従った宝山検校・後代の家村氏・元和年間の常楽院等を区別。天文元年と二年の不一致、寿長院と家村氏記録の対応は保留。墓所を没地と断定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』