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HP-0089巻1:21注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

井上主膳

異名・検索語:井上主膳/主膳

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:本文の南部の所在地と、大隅宮内之出家円明坊という表現の大隅宮内・円明坊の具体的関係は留保する。寺院・僧名の外部史料による同定は行っていない。

DESCRIPTION

本文内容説明

井上主膳は長寿院盛淳の家来。19歳の時に盛淳の供として関ヶ原へ赴いたが、槍傷を負って盛淳とはぐれ、里人を頼って京都へ出た。その後、南部へ行き、本文に「大隅宮内之出家円明坊」と記す僧を頼り、伊賀の中野興左衛門に奉公した。のち正興寺の文之和尚を頼って帰国し、その際に興左衛門から刀大小を与えられた。本文末尾には明暦3年の覚書があると記す。円明坊は本人の法名ではなく、援助を求めた相手である。生没年・没地・法名は不記載。南部の所在地と大隅宮内・円明坊の具体的な関係は留保する。

系譜・人物関係

家族系譜は記載しない。主人は長寿院盛淳、伊賀での奉公先は中野興左衛門。円明坊と正興寺文之和尚を頼る。円明坊を井上本人の法名・別名として扱わない。

奉公・役職

長寿院盛淳の家来。十九歳時に関ヶ原へ供をする。伊賀の中野興左衛門に奉公。旧市野を中野へ訂正。本人の役職・知行は記載しない。

軍役・事績

鑓疵にて盛淳に取り放れ、里人を頼り京都へ出る。その後南部へ行き大隅宮内之出家円明坊を頼って伊賀で奉公。正興寺文之和尚を頼り帰国時、興左衛門より刀大小を給される。本文に盛淳戦死が離別原因とはなく、旧因果を削除。末尾は明暦三年所著之覚書有之で、旧書状を覚書へ訂正。

生没・法名等

生没年・没地・法名の記載なし。円明坊は頼った出家の名で、本人の法名欄から除く。十九歳は関ヶ原に赴いた年齢で没年齢ではない。明暦三年は覚書の年で死去年ではない。

統合人物ID
HP-0089
原人物ID群
01-021-07
氏・分類
井上
掲載巻頁
巻1:21
主題・活動
関ヶ原負傷・伊賀奉公・帰国
人物関係要約
家族系譜は記載しない。主人は長寿院盛淳、伊賀での奉公先は中野興左衛門。円明坊と正興寺文之和尚を頼る。円明坊を井上本人の法名・別名として扱わない。
検索キーワード
井上主膳/長寿院盛淳/十九歳/関ヶ原/鑓疵/里人/京都/南部/大隅宮内/円明坊/伊賀/中野興左衛門/正興寺/文之和尚/帰国/刀大小/明暦三年/覚書
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI・通常各全1頁と原冊、修復AI・通常各全1頁を確認。南部の所在地と大隅宮内・円明坊の関係を留保。
公開判定根拠
関ヶ原での負傷離別・伊賀奉公・帰国を確認。円明坊の誤帰属と奉公先等を訂正し、留保を付して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
旧AI・通常各全1頁と原冊21頁下段を照合。一井上主膳から明暦三年所著之覚書有之までが本人記事。右端に残っていた前項外ニ池上氏別冊ニアリを除き、左端の次項朱注断片と下端ノンブルを除去。次項一井上勘ケ由は既存01-021-07-02のまま別扱い。候補2のAI・通常各全1頁で本文4列を確認。円明坊・中野興左衛門・文之和尚は本人の経歴中の関係者であり、独立新人物見出しではない。ID・頁数維持、新規採番不要。
判読保留
本文の南部の所在地と、大隅宮内之出家円明坊という表現の大隅宮内・円明坊の具体的関係は留保する。寺院・僧名の外部史料による同定は行っていない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』