HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊地知重武
異名・検索語:伊地知重武/伊地知周防守重武/又九郎/太郎/月海源心居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:遠祖系譜の人名・法号細字と代数の接続、季保代断絶小注の帰属。/下大隅領主付記の地名字形・領域数詞と田上拝領正月脇の朱参照小注。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊地知重武は周防守、又九郎・太郎と記され、縫殿介重周の嫡子。島津勝久の家老を務めた。天文五年二月二日、加増として垂水を拝領。同八年六月、貴久の市来攻めに出陣し、同十三年正月には田上を拝領したと記す。天文十六年九月十九日、四十二歳で没。法名は月海源心居士。没地・墓所は記されない。記事前半は伊地知氏の祖先と下大隅の旧領・居城を説明する。父重周は蘭窓公の家老で、大永二年に下大隅高城を拝領し、翌三年十二月二日、日向の月野で三十六歳で戦死したと記す。この戦死は重武本人のものではない。
系譜・人物関係
重武は縫殿介重周の嫡子。又九郎・太郎、周防守と記す。前半は桓武帝・秩父氏から伊地知氏に至る遠祖と下大隅領有の系譜。父重周は蘭窓公の家老で、下大隅高城を拝領し月野で戦死した。遠祖の細字・代数の接続、季豊の代を下大隅領知とする異記を保留。
奉公・役職
重武は勝久公御家老也。天文五年申二月二日、為加増垂水拝領。同十三年辰正月田上拝領と記すが、月の脇に朱の訂正参照らしい細字あり保留。父重周は蘭窓公の家老で、大永二年に下大隅高城を拝領。季豊は義久公の執事職と記す。下大隅領主の付記は牛根・中俣・垂水・田上・新御堂・高城・本城・木谷等を列挙し、姶良の内野里までの領域・居城は本城也とする。地名・数詞細字を保留し現在地へ無断比定しない。
軍役・事績
重武自身は天文八年六月、貴久公の市来御退治之時罷立。父重周は大永三年十二月二日、日州月野で三十六歳戦死。遠祖の季随と見える人物は観応二年筑前金隈で断岳公御名代として戦死したと記す。祖先の戦死と本人の出陣を区別し、高城拝領を本人の戦死地にしない。
生没・法名等
重武は天文十六年未九月十九日卒、四十二歳、法名月海源心居士。本人の没地・墓所は明記なし。父重周の大永三年日向月野三十六歳戦死、遠祖の筑前金隈戦死は本人へ帰属させない。
- 統合人物ID
- HP-0082
- 原人物ID群
- 01-004-03
- 氏・分類
- 伊地知
- 掲載巻頁
- 巻1:4
- 主題・活動
- 勝久家老・垂水田上拝領・市来出陣
- 人物関係要約
- 重武は縫殿介重周の嫡子。又九郎・太郎、周防守と記す。前半は桓武帝・秩父氏から伊地知氏に至る遠祖と下大隅領有の系譜。父重周は蘭窓公の家老で、下大隅高城を拝領し月野で戦死した。遠祖の細字・代数の接続、季豊の代を下大隅領知とする異記を保留。
- 検索キーワード
- 伊地知/重武/周防守/又九郎/太郎/重周/勝久/貴久/垂水/田上/市来/天文/月海源心/下大隅/高城/月野/蘭窓
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
- 公開判定根拠
- 全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 冊子4頁上段の一伊地知周防守重武から下段右端の月海源心居士までAI全2頁確認。父祖系譜・旧領付記は関連内容。前の若狭守忠次と後の〇伊地知重興は混入なし。右端小注と末尾を保持しPDF修復・新番号不要。
- 判読保留
- 遠祖系譜の人名・法号細字と代数の接続、季保代断絶小注の帰属。/下大隅領主付記の地名字形・領域数詞と田上拝領正月脇の朱参照小注。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』