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HP-0079巻1:6注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

伊地知重成

異名・検索語:伊地知重成/伊地知式部少輔重成/式部少輔/重成

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:父祖小注の筑前守名綱様の字形と重周二男の接続。/高橋の属する田布施/日布施様の地名の字形。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊地知重成は式部少輔を称し、日新公に奉仕して高橋一所を与えられた。天文十三年には日新・大中両公から盟書を賜ったと記す。本人の生没年・没地・墓所は記されない。子の式部少輔重隆は大野忠智とも記され、天正三年十月二十日の犬追物の記事に名が見える。同四年には高原城攻めに出陣し、同五年の日向平定に際して三納地頭となった。同六年十月二十三日、三納の土民らが蜂起し城を攻め落としたときに戦死した。高原・三納の軍役と戦死は重成本人ではなく重隆の記事である。父祖関係と拝領地名の細字は判読を保留する。

系譜・人物関係

重成は式部少輔。父祖小注には重周二男・筑前守とあるが、父名の字形と続柄の接続は保留し、旧重周の二男で筑前守朝の子という説明を撤回。子は式部少輔重隆で、大野忠智とも記す。筑前守の吉田城代という小注を重成の役職にしない。

奉公・役職

重成は日新公に奉仕して高橋一所を与えられ、天文十三年に日新・大中両公から盟書を賜る。高橋の属する地名は田布施/日布施様で字形を保留し、旧日向国という比定を撤回。重隆は天正五年の日向平定に際して三納地頭となる。

軍役・事績

重成本人の出陣記事はない。重隆は天正三年十月二十日の犬追物の記事に名が見え、同四年に高原城攻めへ出陣。同六年十月二十三日、三納の土民らが蜂起して三納城を攻め落とした際に戦死。高原城攻めで一番乗りとは断定しない。

生没・法名等

重成本人の生没年・没地・墓所・法名は無記載。子重隆は天正六年十月二十三日に三納城落城時に戦死。重隆の享年・墓所・法名も無記載。旧十月十三日は廿の誤読として訂正。

統合人物ID
HP-0079
原人物ID群
01-006-03
氏・分類
伊地知
掲載巻頁
巻1:6
主題・活動
日新奉仕・高橋拝領・盟書・子の三納戦死
人物関係要約
重成は式部少輔。父祖小注には重周二男・筑前守とあるが、父名の字形と続柄の接続は保留し、旧重周の二男で筑前守朝の子という説明を撤回。子は式部少輔重隆で、大野忠智とも記す。筑前守の吉田城代という小注を重成の役職にしない。
検索キーワード
伊地知/重成/式部少輔/日新/大中/高橋/盟書/天文十三年/重隆/大野忠智/犬追物/高原/三納/地頭/天正六年/十月二十三日/戦死
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
公開判定根拠
全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
本文境界判定
原冊6頁下段、一伊地知式部少輔重成から重隆戦死まで全1頁。右の系譜小注と左の戦死記事末尾を保持。次重頼の朱注記を除外しており現在の切り出しは適切。其子重隆は関連家伝で新番号不要。
判読保留
父祖小注の筑前守名綱様の字形と重周二男の接続。/高橋の属する田布施/日布施様の地名の字形。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』