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HP-0073巻1:7注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

伊地知重次

異名・検索語:伊地知重次/伊地知雅楽介重次/雅楽介/重次

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:初称・養子重弘の異名と実父諱の細字、朝鮮記事の泗川以下の割注細字は判読保留。実父諱を旧説明の実貞と断定しない。/十五歳の豊後出陣と天正十一年十月の使者記事は原記載に従い、前後の年代整合は未確認。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊地知雅楽介重次は重政の子で、母は新納康久の娘。十五歳で豊後出陣に供奉し、丹生島麓の唐仁町を破った際、父子とも分捕を挙げたと記す。のち御使役を務め、天正十一年十月には義久の使者として八代へ派遣された。島津図書頭忠長の老中役を命じられ、その後、朝鮮で番船が破られた際に討死したという。養子の越後守重弘は鮫島与一左衛門の子で、竜伯公・惟新公・光久公に奉仕したと記す。後裔に八之丞を挙げる。重次の没年月日・没齢・墓所は明記されない。

系譜・人物関係

雅楽介重次は重政の子、母新納康久女。養子越後守重弘は鮫島与一左衛門の子で実父諱は細字留保。末尾子孫八之丞を挙げる。重弘の奉公は重次本人と区別。

奉公・役職

十五歳豊後入御供。御使役相勤、天正十一年十月義久御使として八代へ派遣。図書頭忠長の御老中役を命じられる。

軍役・事績

丹生島麓唐仁町を破る際、父子共に一分捕と記す。のち朝鮮に入り番船が破られた際に討死。泗川の後に続く割注細字は保留。養子重弘の竜伯公・惟新公・光久公奉仕は重次本人と区別。子孫八之丞を挙げる。

生没・法名等

朝鮮で番船が破られた際に討死。没年月日・没齢・墓所・法名は明記なし。割注中の泗川以下は修復時に再確認する。

統合人物ID
HP-0073
原人物ID群
01-007-01
氏・分類
伊地知
掲載巻頁
巻1:7
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
雅楽介重次は重政の子、母新納康久女。養子越後守重弘は鮫島与一左衛門の子で実父諱は細字留保。末尾子孫八之丞を挙げる。重弘の奉公は重次本人と区別。
検索キーワード
伊地知重次/伊地知雅楽介/重政/新納康久/豊後/丹生島/唐仁町/御使役/天正十一年十月/義久/八代/図書頭忠長/老中/朝鮮/番船/討死/養子重弘/越後守/鮫島与一左衛門/八之丞
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI用PDF全1頁を追加精読し原冊7頁と照合、修復PDF全頁確認済み
公開判定根拠
AI用PDF・原冊を照合し母系譜脇小注を復元、前後文字片を除外。豊後軍役・義久使者・忠長老中・朝鮮討死を養子重弘の奉公と区別。細字と年代整合の留保を示して記載箇所へ案内できるため注記付き公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
左2.5pt縮小で次重近側の朱文字片を除外し、末尾子孫八之丞まで保持。右2pt拡張で母系譜脇朱を復元し、上側のみ旧右境界へ段階クリップして前重政の微小片を除外。元本文は保持。養子重弘の記事は関連記述で独立見出しではなく新番号不要。
判読保留
初称・養子重弘の異名と実父諱の細字、朝鮮記事の泗川以下の割注細字は判読保留。実父諱を旧説明の実貞と断定しない。/十五歳の豊後出陣と天正十一年十月の使者記事は原記載に従い、前後の年代整合は未確認。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』