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HP-0064巻1:20注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

伊丹道甫

異名・検索語:伊丹道甫/伊丹師親/師親/孫兵衛尉/道甫/慶徳庵道甫/月窓常雲庵主

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:召し留め後の松平に続く字形と称の指す人物を留保する。初葬地は加治木大株寺と見えるが寺名の字形を留保し、長年寺への改葬とは区別する。師の庵号は本文の享徳庵、本人の改名は慶徳庵と読み分け、外部の人名表記へ置換しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊丹道甫、諱は師親、初め孫兵衛尉。本文は高師直十三代の孫で、先祖が摂津伊丹郡有岡城主だったため伊丹を家号としたと記す。浪人後、堺で道三の門人となり、慶徳庵道甫と改名して医術で名を得た。慶長5年秋、惟新の大垣行きに同行を約束していた道三が病気となり、代わって道甫が同行した。その後薩摩へ下り、召し留められて120石を受け、のち加治木へ移された。元和7年の高帳には160石。寛永2年7月19日没、法名月窓常雲庵主。加治木の寺から長年寺へ改葬され、辞世も記載される。没地・享年は不記載。召し留めに関する称と最初の葬地の寺名字形は留保する。

系譜・人物関係

伊丹道甫師親、初め孫兵衛尉。本文は高師直十三代の孫とし、先祖が摂津伊丹郡有岡城主だったことに家号の由来を求める。師親本人が浪人して堺で道三に医術を学ぶ。道三は師で別人。

奉公・役職

師親が浪人し堺で享徳庵三法印の医道門人となり、慶徳庵道甫と改名。道三は惟新の茶湯の友。慶長5年秋の大垣行きは道三が病気のため道甫に依頼し同行。のち当国へ下り召し留められ120石。その後加治木へ召し移される。元和7年高帳160石。召留後の松平に続く称は留保。

軍役・事績

医術の名声と茶道の小注、惟新の大垣行きへの同行を記す。孫兵衛尉は高師直ではなく道甫の初名。祖先の有岡城主という由来と師親本人の浪人・医術修業を区別する。旧説明の有岡落城後という因果は本文に明記されないため削除。道三の病気を本人の病気としない。

生没・法名等

寛永2年7月19日卒。月窓常雲庵主。辞世はアタノ世ニシバシカホトハ旅衣キテカヘルコソ本ノ道ナレ。墓所は加治木の寺(大株寺と見えるが字形留保)から長年寺へ改葬。没地・享年・改葬年月は不記載。

統合人物ID
HP-0064
原人物ID群
01-020-10
氏・分類
伊丹
掲載巻頁
巻1:20
主題・活動
医道・茶道・大垣同行・来仕
人物関係要約
伊丹道甫師親、初め孫兵衛尉。本文は高師直十三代の孫とし、先祖が摂津伊丹郡有岡城主だったことに家号の由来を求める。師親本人が浪人して堺で道三に医術を学ぶ。道三は師で別人。
検索キーワード
伊丹道甫/師親/孫兵衛尉/高師直/有岡城主/堺/道三/医道/慶徳庵/惟新/慶長五年/大垣/百二十石/加治木/元和七年高帳/百六十石/寛永二年七月十九日/月窓常雲庵主/長年寺/辞世
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI・通常各全1頁、原冊20頁下段と右側小注拡大、修復AI・通常各全1頁を確認。称と寺名字形等を留保。
公開判定根拠
本人の浪人・医術修業・大垣同行・知行・没年月日を祖先と師から分離。称と寺名等に注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
旧AI・通常各全1頁と原冊20頁下段全体・右側小注拡大を照合。一伊丹道甫師親から辞世・墓所加治木の寺より長年寺江改葬まで一記事。旧PDF左端に入る次項の断片を除き、右端小注を余白付きで収め直す。候補2のAI・通常各全1頁で全文と小注を確認。道三の病気と同行交代は本人来仕の経緯であり独立記事ではない。新規分割不要。1頁・ID・旧OCR維持。
判読保留
召し留め後の松平に続く字形と称の指す人物を留保する。初葬地は加治木大株寺と見えるが寺名の字形を留保し、長年寺への改葬とは区別する。師の庵号は本文の享徳庵、本人の改名は慶徳庵と読み分け、外部の人名表記へ置換しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』