← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-0059巻1:8~9注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

伊勢貞成

異名・検索語:伊勢貞成/伊勢平左衛門尉貞成/平左衛門尉/貞成

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:関ヶ原の日付は本文に九月五日とある。説明では年単位とし、一般の年表の日付へ無断訂正しない。/母方の新納名は本文元忠、旧説明忠元で字順が異なる。官途・号で記し同定を確定しない。見出し小注の旧名対応も留保。/寺沢家との交渉事由には別説があるが、その用語は字形を留保。旧説明の領縁を確読値として採用しない。争闘相手の別称や家来の名、検棺前の傷に関する風聞の細字も留保し、風聞を事実認定に転用しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊勢貞成は貞真の嫡子で、母は新納武蔵守拙斎の嫡女。永禄十二年生。平左衛門尉を称し、義弘の家老、飯野・吉田・蒲生地頭を務め、知行千石。文禄元年に父と朝鮮へ渡り、泗川では赤威の鎧を着用した。慶長五年の関ヶ原では軍奉行として義弘の撤退を先導。南宮山下で四国勢の敵意がないことを確かめ、采配を振って知らせた。翌年、相良新右衛門と備前中納言秀家の薩摩居住願いを聴取した。本文は寺沢広高家との縁談解消交渉の使者として唐津へ赴いたとするが、交渉事由には異説を付す。帰途、志岐浦で寺沢家老の高畠新蔵を訪ね、茶亭で争闘となって双方が深手を負い、貞成はその場で死亡した。慶長十二年十一月八日、三十九歳。法名は傑山文勝居士、加治木大株寺に葬る。子や家来の付記、後年の墓石再発見・検棺の逸話も載る。

系譜・人物関係

貞真の嫡子。母は新納武蔵守拙斎の嫡女(本文元忠と旧説明忠元の字順差は留保)。出立時二歳の左近は嫡男、末尾の兵部少輔は弟。家来の切腹は貞成本人の死因ではない。

奉公・役職

義弘家老。飯野・吉田・蒲生地頭、知行千石。関ヶ原軍奉行。秀家居住願い聴取、寺沢家との交渉使者。

軍役・事績

文禄元年父と朝鮮渡海、泗川赤威の鎧。慶長五年撤退先導、南宮山下で四国勢の敵意を確認し采配で知らせる。寺沢家との交渉理由に異説。帰路志岐浦で家老高畠新蔵と茶亭の争闘。

生没・法名等

永禄十二年生。慶長十二年十一月八日、志岐浦の茶亭で争闘の末に死亡、三十九歳。傑山文勝居士、加治木大株寺葬。墓石再発見・検棺は後年の関連付記。

統合人物ID
HP-0059
原人物ID群
01-008-06
氏・分類
伊勢
掲載巻頁
巻1:8~9
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
貞真の嫡子。母は新納武蔵守拙斎の嫡女(本文元忠と旧説明忠元の字順差は留保)。出立時二歳の左近は嫡男、末尾の兵部少輔は弟。家来の切腹は貞成本人の死因ではない。
検索キーワード
伊勢貞成/平左衛門尉/貞真嫡子/新納武蔵守拙斎/永禄十二年/義弘家老/飯野地頭/吉田地頭/蒲生地頭/千石/高麗御供/泗川赤威/関ヶ原軍奉行/南宮山四国衆/采配/相良新右衛門/備前中納言/山川牛根/寺沢広高/唐津/志岐浦茶亭/慶長十二年十一月八日/三十九歳/傑山文勝居士/加治木大株寺/文化十一年墓銘再発見/検棺逸話
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊8~9頁・拡大照合済。本人死去と家来切腹を区別、異説用語留保。
公開判定根拠
家老・地頭・軍奉行・交渉・没地墓所を整理。本文日付、母方諱、交渉異説用語等の留保を公開注記で明示し記載箇所へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
冊子8頁下段の一伊勢平左衛門尉貞成から9頁上段末尾の風聞止候由まで、通常AI各全2頁で連続。子左近・弟・家来・墓石再発見・検棺は貞成関連の付記。前の貞真と次の〇伊勢美濃守貞長の独立見出しを含まない。新規採番・PDF変更なし。
判読保留
関ヶ原の日付は本文に九月五日とある。説明では年単位とし、一般の年表の日付へ無断訂正しない。/母方の新納名は本文元忠、旧説明忠元で字順が異なる。官途・号で記し同定を確定しない。見出し小注の旧名対応も留保。/寺沢家との交渉事由には別説があるが、その用語は字形を留保。旧説明の領縁を確読値として採用しない。争闘相手の別称や家来の名、検棺前の傷に関する風聞の細字も留保し、風聞を事実認定に転用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』