HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊集院忠倉
異名・検索語:伊集院忠倉/伊集院大和守忠倉/伊集院掃部介忠倉
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:永禄六年卅七八ニアリの卅七八は参照数字の可能性を保持するが参照先は未確定。年齢・日付として採用しない。/末尾の「不忠人」等は子の幸侃に対する本文・編者の評価で、忠倉本人への評価としない。没地・墓所は本条に記載がない。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊集院忠倉は大和守、掃部介を称し、孤舟(忠朗)の嫡子。貴久の御使役から家老職に進んだ。天文十八年、父とともに加治木へ出陣し、十一月二十四日、北風に乗じて火箭を射かけ敵陣を焼き払い、敵を降伏させた。弘治三年の蒲生出陣にも供奉した。没年月は不詳、没地・墓所は記されず、法名は玄忠茅菴。末尾には子の右衛門入道幸侃を「国賊伝」に載せたとの付記があるが、これは子についての記述であり、忠倉本人の事績・評価とは区別する。
系譜・人物関係
孤舟(前条の忠朗)の嫡子。末尾に子の右衛門入道幸侃を記す。幸侃の「国賊伝」への掲載は父本人の記事と区別。
奉公・役職
大和守・掃部介。貴久の御使役から家老職。
軍役・事績
天文十八年父と加治木へ出陣し十一月二十四日北風を利用した火箭攻撃で敵を降伏させる。弘治三年蒲生出陣に供奉。
生没・法名等
没年月不詳と明記。没地・墓所は不記載。法名玄忠茅菴。末尾の卅七八は年齢・日付に用いない。
- 統合人物ID
- HP-0049
- 原人物ID群
- 01-001-02
- 氏・分類
- 伊集院
- 掲載巻頁
- 巻1:1~2
- 主題・活動
- 御使役・家老・加治木火箭・蒲生供奉
- 人物関係要約
- 孤舟(前条の忠朗)の嫡子。末尾に子の右衛門入道幸侃を記す。幸侃の「国賊伝」への掲載は父本人の記事と区別。
- 検索キーワード
- 伊集院/忠倉/大和守/掃部介/孤舟/忠朗/貴久/御使役/家老/天文十八年/加治木/北風/火箭/弘治三年/蒲生/玄忠茅菴/幸侃/国賊伝
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊1~2頁を追加照合済。子の付記と本人を区別。
- 公開判定根拠
- 奉公・加治木での火箭攻撃・蒲生供奉を整理し、末尾の参照数字の疑義と子への評価の帰属を注記して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 第1頁は冊子1頁下段末の忠倉独立見出しから法名、第2頁は冊子2頁上段右の幸侃に関する付記と国賊伝ニ載置の結び。次の忠宣見出しは混入しない。PDF変更・新規採番不要。
- 判読保留
- 永禄六年卅七八ニアリの卅七八は参照数字の可能性を保持するが参照先は未確定。年齢・日付として採用しない。/末尾の「不忠人」等は子の幸侃に対する本文・編者の評価で、忠倉本人への評価としない。没地・墓所は本条に記載がない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』