HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊集院久道
異名・検索語:伊集院久道/伊集院下野守久道/治部少輔/魯笑
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:帖佐合戦の地名(崖原と見える字形)と九月の日付細部。公開文は帖佐・九月までに限定。/右衛門兵衛と見える官途小注、子孫伊集院伊膳と見える名の字形。/弘治元年の主君名は本文の義久に従う。他史料での年代整合は未検証で、無断で貴久に置換しない。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊集院久道は下野守、治部少輔を称し、入道号は魯笑。右衛門佐久昌の子。天文二十三年九月、貴久父子の帖佐攻めで申から酉刻まで勝敗が決しなかった際、貴久に合戦を続ければ敵は敗れると進言した。そのまま戦いを続けると敵は敗北し、七百余人を討ち取ったという。弘治元年三月十日、本文にいう義久の命で野村民部少輔と加治木へ赴き、右馬頭忠将・樺山善久に帖佐の敵を討つ計策を伝えた。天正四年には高原陣に供奉した。生没年月日・没地・墓所は記されない。
系譜・人物関係
長門守忠国の八男今給黎長門守久俊、その二男右衛門佐久昌の子と本文が続く。伊集院家四代の注記あり。子孫伊集院伊膳と見える細字は子孫の情報で、本人名に混ぜない。子孫名の字形は保留。
奉公・役職
下野守、入道魯笑。脇注治部少輔は合戦進言と弘治元年使者記事の治部少輔に対応。右衛門兵衛と見える別官途小注は字形・表記保留。貴久への進言、本文にいう義久の命による加治木への派遣。
軍役・事績
天文廿三年九月、貴久公御父子帖佐御退治。申より酉刻まで勝敗未決、治部少輔が貴久に御続き被遊候は凶徒敗北可仕と進言。継続すると敵敗北、七百余人御打取。弘治元年三月十日、義久公より治部少輔・野村民部少輔を加治木へ遣わし、右馬頭忠将・樺山善久に帖佐退治の計策を伝える。天正四年高原御陣御供。討取りは軍全体の結果で久道個人の討取人数としない。
生没・法名等
生没年月日・没地・墓所は本文不記載。入道号魯笑があるため単純に法名なしとは記さない。
- 統合人物ID
- HP-0036
- 原人物ID群
- 01-002-03
- 氏・分類
- 伊集院
- 掲載巻頁
- 巻1:2
- 主題・活動
- 合戦進言・使者・高原陣
- 人物関係要約
- 長門守忠国の八男今給黎長門守久俊、その二男右衛門佐久昌の子と本文が続く。伊集院家四代の注記あり。子孫伊集院伊膳と見える細字は子孫の情報で、本人名に混ぜない。子孫名の字形は保留。
- 検索キーワード
- 伊集院/久道/下野守/治部少輔/魯笑/久昌/貴久/義久/帖佐/加治木/高原/野村/忠将/樺山善久/申/酉
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
- 公開判定根拠
- 全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 冊子2頁上段の一伊集院下野守久道入道魯笑から天正四年高原御陣御供までAI全1頁確認。官途・子孫小注保持、右の忠次と左の久治は混入なし。PDF修復・新番号不要。
- 判読保留
- 帖佐合戦の地名(崖原と見える字形)と九月の日付細部。公開文は帖佐・九月までに限定。/右衛門兵衛と見える官途小注、子孫伊集院伊膳と見える名の字形。/弘治元年の主君名は本文の義久に従う。他史料での年代整合は未検証で、無断で貴久に置換しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』