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HP-0026巻1:21注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

伊佐敷久理

異名・検索語:伊佐敷久理/伊佐敷左近将監久理/左近将監/久理/清居士

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:本文は久政を家督と記すが、久理との具体的な家督関係は留保し、譲渡と断定しない。従軍先は本文の義珍公の称を用い、義弘への読み替えを取り下げる。/守備した城は滝田城と見えるが字形を留保する。前段の祖先系譜の細字・異注と続柄の一部は留保し、応永年間の戦死を久理の事績へ混入しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊佐敷久理は左近将監を称し、中務小輔為久の子。天正14年の豊後入りでは、本文で家督と記す久政とともに義珍公に従軍し、諸所の軍務に励んだ。城が攻略され久政が守備を命じられると、久理もこれに従った。翌15年3月14日、久政と同所で戦死し、25歳。法号は清居士で、従卒5人も同時に死んだと記される。子は平兵衛久基。前段には応永年間の鹿児島本城毘沙門堂での戦死と法名浄因を含む祖先系譜があるが、久理本人の死去・法号とは別である。久政との家督関係、城名字形、系譜細字には留保があり、本人の墓所は記載しない。

系譜・人物関係

中務小輔為久の子。子は次の既存記事で扱う平兵衛久基。子孫佐多平左衛門直行との小注。前段には氏義・忠豊・氏豊・久尚・右馬助の系譜が続くが細字と続柄の一部を留保。久政へ家督を譲ったという根拠は確認できない。

奉公・役職

中務小輔為久の子、左近将監。天正14年豊後入りで家督久政とともに義珍公に従軍し諸所の軍務に従う。攻略した城の守備を命じられた久政に久理も従う。本文は侶にトモニと注し、家督譲渡とは読めない。

軍役・事績

前段の氏義四男三郎九郎忠豊領佐多伊佐敷為氏という文脈で、為氏を独立した祖先名とした旧説明を除く。応永20年12月8日鹿児島本城毘沙門堂戦死・33歳・浄因・従兵11人同死は祖先側の記載で、天正15年戦死の久理とは区別。系譜細字は留保。天正14年軍務と城守備は久理・久政の記述として整理。

生没・法名等

本人は天正15年3月14日、久政と一所に戦死、25歳。朱注法号清居士、従卒5人同死。旧3月24日を14日に訂正。祖先側の浄因を本人法号から外す。城名字形と具体的な戦死地点の同定を留保し、墓所は不記載。

統合人物ID
HP-0026
原人物ID群
01-021-03
氏・分類
伊佐敷
掲載巻頁
巻1:21
主題・活動
家系由緒・豊後従軍・戦死
人物関係要約
中務小輔為久の子。子は次の既存記事で扱う平兵衛久基。子孫佐多平左衛門直行との小注。前段には氏義・忠豊・氏豊・久尚・右馬助の系譜が続くが細字と続柄の一部を留保。久政へ家督を譲ったという根拠は確認できない。
検索キーワード
伊佐敷久理/左近将監/中務小輔為久/久政/義珍公/豊後/天正十四年/天正十五年三月十四日/二十五歳/清居士/従卒五人/平兵衛久基/佐多平左衛門直行/祖先系譜/応永二十年/本城毘沙門堂
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI・通常各全1頁、原冊21頁主文・系譜小注、修復AI・通常各全1頁を確認。家督関係・城名・系譜細字を留保。
公開判定根拠
本人の天正15年3月14日戦死と清居士を確認。祖先の応永年間戦死・浄因を分離し、家督関係等を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
旧AI・通常各全1頁と原冊21頁上段を照合。一伊佐敷左近将監久理から系譜注記、天正14-15年の事績、法号清居士、従卒五人同死までを確認。末尾其子は次の既存01-021-04伊佐敷久基への続柄を示す接続語として残す。前段は祖先系譜で独立した新人物見出しではないため新規番号を付けず、既存の久基別IDも維持する。右側小注を回復し、前項指宿の断片を除去した候補3のAI・通常各全1頁を確認。1頁・ID・旧OCR維持。
判読保留
本文は久政を家督と記すが、久理との具体的な家督関係は留保し、譲渡と断定しない。従軍先は本文の義珍公の称を用い、義弘への読み替えを取り下げる。/守備した城は滝田城と見えるが字形を留保する。前段の祖先系譜の細字・異注と続柄の一部は留保し、応永年間の戦死を久理の事績へ混入しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』