犬追物手組
天正三年三月十六日 / 冊子 431頁
天正三年三月十六日の犬追物手組として、島津以久・新納忠実・頴娃久虎らの射手、各人の射犬数、検見・喚次を列挙する。
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天正三年三月十六日 / 冊子 431頁
天正三年三月十六日の犬追物手組として、島津以久・新納忠実・頴娃久虎らの射手、各人の射犬数、検見・喚次を列挙する。
天正十一年二月十日 / 冊子 748~749頁
島津忠平が頴娃久虎へ、これまでの取置を神文で示されたことを喜び、久虎を自分の子同然に扱って疎略にしないと誓った請文。違背すれば彦山・霧島・真幸白鳥・飯野一宮など諸神の罰を受けるとする。
年月日未詳 / 冊子 330~331頁
羽柴秀長の大軍が日向高城を囲むなか、北郷時久(一雲)が義久・義弘に従って根白坂の豊臣方陣地を攻めた事績を記す。敗退時には久保・頴娃久虎らが踏みとどまり、来住備前守が戦死するなど、援兵のない窮地で激戦となった。五月八日の和睦後、義久が秀吉から薩摩一国を認められ、同月十六日に時久へ書状を与えたところまでを述べる。
年月日未詳 / 冊子 362頁
島津歳久が、根白坂の戦いで戦死した頴娃久虎の生前をしのんで詠んだ追悼和歌。弓馬の家に生まれて武芸に励み、酒宴や舞曲の場でも人々と交わった久虎の人柄をたたえ、「桂岳林昌居士」と唱えて霊前へ手向けている。
年月日未詳 / 冊子 631~634頁
頴娃家で嫡子忠継と弟久虎が対立し、忠継が開聞寺の神殿へ籠もった末、頴娃新左衛門尉に射殺された経緯を記す。その後、久虎の母が政務を専断したため家臣十人らが諫めたが、指宿へ退いた百余人は本田政親による和談を信じて頴娃郡周磨寺へ入り、久虎勢に攻め滅ぼされた。
天正四年四月十二日 / 冊子 475頁
天正四年四月十二日の犬追物手組。四角の射手と各人の射犬数、検見・喚次を記し、前久台覧のもと島津征久・歳久・忠長、喜入季久らが射芸を披露した。