小笠原長重書状
(元禄九年)五月廿一日 / 冊子 959頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2637
島津綱貴が小笠原長重へ、厳有院徳川家綱の十七回忌法要に献じた香奠が東叡山へ滞りなく奉納されたとの通知を受け、謝意を述べた書状。
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(元禄九年)五月廿一日 / 冊子 959頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2637
島津綱貴が小笠原長重へ、厳有院徳川家綱の十七回忌法要に献じた香奠が東叡山へ滞りなく奉納されたとの通知を受け、謝意を述べた書状。
元禄十一年八月朔日 / 冊子 74頁/整理ID 無番号_0001
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、御用があるため翌二日四時に江戸城へ登城するよう命じた無番号の連署状。
元禄十年八月十一日 / 冊子 38頁/整理ID 109
小笠原長重が、松平薩摩守からの肴一種の献上について、首尾よく披露した旨を伝えた書状。
元禄十年八月十二日 / 冊子 38頁/整理ID 110
小笠原長重が、松平修理大夫が使者を通じて将軍の機嫌を尋ねたことへの回答として将軍が勇健であると伝え、肴一種の献上を相談のうえ首尾よく披露した旨を知らせた書状。
元禄十年八月二十七日 / 冊子 40頁/整理ID 123
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、八重姫君の翌年夏の入輿決定を喜び、書面の趣について諸役と相談のうえ将軍へ言上した旨を返答した書状。
元禄十年八月晦日 / 冊子 41頁/整理ID 125
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍が機嫌よく、同氏薩摩守が東叡山普請手伝を命じられたとの報告を了承し、書面を一同が閲覧した旨を返答した書状。
元禄十年十二月十四日 / 冊子 51頁/整理ID 162
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、寒中の将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝え、肴一種の献上を相談のうえ首尾よく披露した旨を返した書状。
元禄十年十二月十五日 / 冊子 51頁/整理ID 164
小笠原長重が松平薩摩守へ、蜜柑二箱と肴一種が献上され、首尾よく披露したと返す十二月十五日付書状。
元禄十年十二月二十三日 / 冊子 52頁/整理ID 167
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝え、同氏薩摩守が御能拝見を命じられたことへの相手の喜びと、御礼使者を差し越したとの書面趣旨を了承した書状。
元禄十年十二月二十五日 / 冊子 52頁/整理ID 168
小笠原長重が、十一月十二日の当地地震後も将軍が無事であると伝え、松平修理大夫の書面趣旨を相談のうえ言上した書状。
元禄十年十二月二十六日 / 冊子 53頁/整理ID 171
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝えた。十月十七日の当地火事でも江戸城内に別条がないと聞いて相手が喜んだ旨の書面趣旨を、相談のうえ言上した書状。
元禄十一年二月晦日 / 冊子 61頁/整理ID 195
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、翌朔日は例月の御礼がないため江戸城へ登城する必要はないと通知した連署状。
元禄十一年三月十四日 / 冊子 62頁/整理ID 197
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、翌十五日は例月の御礼がないため江戸城へ登城する必要はないと通知した連署状。
元禄十一年四月十二日 / 冊子 65頁/整理ID 211
小笠原長重が松平薩摩守へ、薩摩守側から香具品々と肴一種が献上された件について、首尾よく披露したと伝える書状。小笠原自身が品を受領したのではなく、献上品を披露したことを通知する。
元禄十一年四月十四日 / 冊子 65頁/整理ID 212
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、翌十五日は例月の御礼がないため江戸城へ登城する必要はないと通知した連署状。
元禄十一年四月十九日 / 冊子 65–66頁/整理ID 213
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍が勇健で、先頃柳沢出羽守邸へ御成になったことを相手が喜んだ旨をもっともとした返書。書面の趣旨を同僚と相談のうえ言上したと伝える。
元禄十一年四月二十二日 / 冊子 66頁/整理ID 215
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌が松平修理大夫へ、従来は七月中に参府するよう伝えていたが、将軍から八月下旬に参勤するよう改めて命じられたため、その趣旨を承知するよう通知した連署奉書。
元禄十一年四月二十七日 / 冊子 66頁/整理ID 217
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、翌二十八日は例月の御礼がないため江戸城へ登城する必要はないと通知した連署状。
元禄十一年四月二十九日 / 冊子 66–67頁/整理ID 218
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍が勇健で、先頃松平右京大夫邸へ御成になったことを相手が喜んだ旨をもっともとした返書。書面の趣旨を同僚と相談のうえ言上したと伝える。
元禄十一年六月二十三日 / 冊子 71頁/整理ID 237
小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平薩摩守へ、将軍の上意として明後二十五日の御能見物を命じ、五半時に江戸城へ登城するよう通知した連署状。
元禄十一年七月二十日 / 冊子 73頁/整理ID 246
小笠原長重が松平薩摩守へ、端午の御内書を渡すため、翌日五時に家来を江戸城へ差し出すよう命じた書状。
元禄十一年八月二日 / 冊子 74頁/整理ID 250
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、別紙書付に記された家来を翌三日四時に江戸城へ差し出すよう命じた連署状。
元禄十一年八月三日 / 冊子 75頁/整理ID 253
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、八朔祝儀として使者を通じ献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく将軍へ披露したと伝える連署状。単なる受領通知ではなく、献上品の披露完了を報告する。
元禄十一年八月十八日 / 冊子 77–78頁/整理ID 257
小笠原長重が松平修理大夫へ、将軍の機嫌良好を喜ぶ旨と、六月十三日に八重姫が水戸少将へ入輿したとの報告を了承した返書。相手が差し越した使者と書面の趣旨について同僚と相談し、将軍へ言上したと伝える。
元禄十一年八月十九日 / 冊子 78頁/整理ID 259
小笠原長重が松平修理大夫へ、喜知姫の逝去を悲しみ言葉もないとの書面を了承した弔意の返書。相手が差し越した使者と書面の趣旨について同僚と相談し、将軍へ言上したと伝える。
元禄十一年八月二十二日 / 冊子 78–79頁/整理ID 261
小笠原長重が松平修理大夫へ、将軍が勇健であることと、相手が参府のため先月初めに国元を出船したものの、悪天候と病気で遅れ、十三日にようやく大坂へ到着したとの報告を了承した返書。差し越された使者と書面の内容を同僚が一覧したと伝える。
元禄十一年八月二十二日 / 冊子 79頁/整理ID 262
小笠原長重が松平修理大夫へ、使者を通じた将軍の安否伺いに対し、将軍はますます勇健なので安心するよう答えた書状。あわせて、相手が献上した御肴一種を同僚と相談し、首尾よく将軍へ披露したと報告する。
元禄十一年八月二十七日 / 冊子 79頁/整理ID 264
小笠原長重が松平修理大夫へ、同氏薩摩守が東叡山御普請の手伝を勤め、二日に将軍の御前へ召されて懇ろな上意を受け、腰物を拝領したとの報告を了承した返書。御礼使者と書面の趣旨を同僚と相談し、将軍へ高聞したと伝える。
元禄十一年九月十四日 / 冊子 82頁/整理ID 277
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、参勤の御礼を申し上げるため、翌十五日五時に江戸城へ登城するよう命じた連署状。
元禄十一年十一月二日 / 冊子 87頁/整理ID 291
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍の機嫌伺いに対し勇健なので安心するよう答え、献上された肴一種を諸役人で相談して首尾よく披露したと伝えた書状。
元禄十一年十二月十八日 / 冊子 92頁/整理ID 313
小笠原長重が松平薩摩守の書状を読み、公方が勇健であることへの相手の喜びをもっともとし、蜜柑二箱と肴一種の献上を各人で相談して披露したと伝える十二月十八日付書状。
元禄十一年十二月二十二日 / 冊子 93頁/整理ID 316
小笠原長重が松平薩摩守へ、寒中に使者を通じた公方の機嫌伺いに対し、勇健なので安心するよう答える。羽織五と肴一種の献上について、各人で相談して披露したと伝える十二月二十二日付書状。
元禄十一年十二月晦日 / 冊子 95頁/整理ID 325
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が勇健であると伝え、参勤の時期を使者によって問い合わせた件は書面を一同で閲覧したと答えた書状。来年三月に改めて問い合わせるよう求める。
元禄十二年正月十一日 / 冊子 97頁/整理ID 336
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、年頭祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露したと伝えた連署状。
元禄十二年正月十八日 / 冊子 98–99頁/整理ID 341
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守の書状を読み、公方勇健への相手の喜びをもっともとし、御暇と御馬・白銀・時服拝領、国元到着を承知したと返す。到着礼使者の目録品を披露すると、使者が御前へ召し出され、入念な礼に喜色があったと伝える。正月十八日付。
元禄十二年二月二十九日 / 冊子 104–105頁/整理ID 367
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、翌日の朔日は例月の御礼がないため、登城する必要はないと通知した老中連署状。欠席届を了承した文書ではない。
元禄十二年三月十四日 / 冊子 106頁/整理ID 372
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、翌十五日は例月の御礼がないため、登城する必要はないと通知した老中連署状。欠席届を了承した文書ではない。
元禄十二年三月十八日 / 冊子 106頁/整理ID 373
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることへの喜びを了承し、使者を通じて伺った参勤時期について上聞に達した結果、翌年三月中に参府するよう命令が出たと伝えた老中連署状。
元禄十二年四月二日 / 冊子 109頁/整理ID 387
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の護持院御成を承知した相手の喜びをもっともだと答えた書状。書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝える。
元禄十二年四月十四日 / 冊子 110–111頁/整理ID 394
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の柳沢出羽守邸への御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝えた書状。
元禄十二年四月二十九日 / 冊子 113頁/整理ID 403
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の松平右京大夫邸への御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝えた書状。
元禄十二年六月十八日 / 冊子 127頁/整理ID 450
小笠原長重が松平薩摩守へ、島津左京が願いどおり佐土原を城地として認められ、相手がありがたく思うとの書面を了承し、併せて目録どおりの品を贈られた心遣いに謝した書状。
元禄十二年八月三日 / 冊子 140頁/整理ID 500
土屋政直・戸田忠昌・阿部正武・小笠原長重が松平薩摩守へ、八朔の祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく将軍へ披露したと伝えた連署状。
元禄十二年八月九日 / 冊子 144頁/整理ID 508
小笠原長重が松平薩摩守へ、尾張中納言の逝去を受けた懇ろな弔意を承知し、差し越された使者の書面について関係者と相談したうえで上聞に達したと答えた書状。
元禄十二年十月十七日 / 冊子 175頁/整理ID 617
小笠原長重が松平薩摩守の留守居へ、重陽の御内書を渡すので、翌日五半時に江戸城へ出るよう命じた書状。
元禄十二年十月十九日 / 冊子 175頁/整理ID 620
小笠原長重が松平薩摩守島津綱貴へ、戸田山城守の死去を聞いたとの書状を披見し、その趣旨を了承したと答えた書状。綱貴の書面どおり同僚と相談し、将軍へ言上するとする。
元禄十二年十月二十七日 / 冊子 176頁/整理ID 622
小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平修理大夫島津吉貴へ、翌二十八日の例月御礼は行われないため、江戸城へ登城する必要はないと通知した連署書状。
元禄十三年正月十一日 / 冊子 184頁/整理ID 657
秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が年頭の祝儀として使者を通じて太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を、首尾よく披露したと報告した四名連署書状。
元禄十三年三月二日 / 冊子 204頁/整理ID 694
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津綱貴へ、将軍徳川綱吉が健勝で、正月八日に東叡山御堂へ参詣し、同二十一日に山王社へ参詣したことへの綱貴の喜びを受けた返書。二通の書面の趣旨を関係者と相談し、将軍へ上聞したと伝える。
元禄十三年三月三日 / 冊子 204–205頁/整理ID 696
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守へ、公方の健勝を伝え、去月二十一日の聖堂、翌二十二日の柳沢出羽守亭への御成を聞いて喜ぶ旨はもっともだと返す。二通の書面の趣旨を各々相談し、高聞に達したと伝える。三月三日付書状であり、去月は二月。