鹿児島高等中学校維持費の寄附金内訳
年月日未詳 / 冊子 999~1000頁/原整理番号 1316の4/整理ID 1316-4
鹿児島高等中学校の維持費を、忠義の年額九千四百円寄附と、現金・株券による元金約十一万円の利子・配当で賄うことを示す。元金の内訳は忠義四万七千六百二十一円九十銭五厘、高島鞆之助五万四千二百三十一円四厘、野津道貫八千八百四十五円四十銭七厘、有志者寄附分で、合計十一万六百六十七円六十二銭六厘を掲げる。日本鉄道株券五千円券二十枚と現金の区分も記す。
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年月日未詳 / 冊子 999~1000頁/原整理番号 1316の4/整理ID 1316-4
鹿児島高等中学校の維持費を、忠義の年額九千四百円寄附と、現金・株券による元金約十一万円の利子・配当で賄うことを示す。元金の内訳は忠義四万七千六百二十一円九十銭五厘、高島鞆之助五万四千二百三十一円四厘、野津道貫八千八百四十五円四十銭七厘、有志者寄附分で、合計十一万六百六十七円六十二銭六厘を掲げる。日本鉄道株券五千円券二十枚と現金の区分も記す。
年月日未詳 / 冊子 153頁/原整理番号 272-2
小原織部の取払留。池上内膳正へ、正月十六日夜から二月十九日まで三十三日分の一かたけ分として真米一斗六升七合五夕を支給した。伊地知弥右衛門が野津安右衛門を振る舞うため、白米五合(真米六合二夕五才)と酒五合代五分を用意したことも記す。
年月日未詳 / 冊子 111頁
新納氏古日記の記事。五月朔日に島津光久が日光参詣へ出発し、伊勢貞昌・野村大学助・新納刑部太輔ら九名が供奉したこと、四日に登山して太刀一腰・馬代銀三十枚、神祭料金子一両、宮仕・八乙女への青銅、毘沙門堂門跡や各院へ銀子を進上したこと、六日に帰館して日光での勤めを終えたことを記す。
7月(軍賞申渡群、年・日不記) / 冊子 306~309頁/原整理番号 435/整理ID 435
全七頁の軍賞申渡群を十四内容に分ける。祇園洲で敵艦を引き受けた島津權五郎に鉄炮一挺・陣羽織一枚、川上右膳ら四名と物主二名に陣羽織の賞を記す。税所清太は砲の損傷後に加勢し手傷で即死したとし、切米八石・祭祀料金三十両を命じる。祇園洲・沖小島守衛の八名には各十五両、さらに七名には各十両。弁天波戸・砂揚場・水軍隊・新波戸・大門口の戦兵に各二両とするが人数は記さない。川上十郎太に十両、陣中死去の重久甚五郎に弔料二十両、祇園洲と沖小島の惣人数に各八両、青山愚知に切米四石・鉄炮一挺、櫻島三ヶ所の戦兵に各二両を記す。末尾は姓名不知の始羅郡山田郷士二人に切米四石宛(十五ヶ年)・十五両宛を与えた由とし、詳しい書付は不知で追って記すとする。人数不記の隊は総額を作らず、切米・金銭・品物と弔料祭祀料を分ける。各条は七月帯刀。
年月日未詳 / 冊子 88~89頁/原整理番号 145-6
小原織部の取払帳。上津浦で伊地知重政付衆七人へ振舞った白米一升七合五勺、米之津・上津浦で買った塩四俵・鯛・さうち魚の代米を品目別に記す。末尾の『下文ハ二月十一日に載す』は参照注で、B列へ補入しない。
(天正五年) / 冊子 527頁
大友義鎮(宗麟)の代に大友氏が筑後・筑前・肥後・肥前・豊後・豊前の六か国を押領していたことを述べる。日向を失った伊東義祐父子が大友氏を頼ると、大友側はこれを口実に日向侵攻を企て、義祐へ野津三百町を扶助して機会をうかがった。
年月日未詳 / 冊子 605頁/原整理番号 662
島津久賀の従兵である時任氏が、十二日に西方を発し、十里を進んで米野津へ着いた行程を記す。
元応二年二月八日 / 冊子 472~473頁
阿多北方地頭代沙弥見仏が、伊作庄雑掌承信・下司高純らの入来別符越境押領訴訟へ答えた請文。隠岐三郎行雄方は建長年中以来の境界・知行であり、阿多北方は大宰府領で伊作庄と領家を異にすると主張。古境・塩道上毛夜木瀬・和田名内橘牟礼狼野津などを挙げ、押領を否定する。