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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0143家譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津久豊譜

久豊譜が、松尾城を守る酒匂紀伊守が変心し、知覧七木場へ来た長門守の知らせで守備と援兵を整えたと記す。頼久も三百余を率いて来て城は堅く、諸地域から集まる救援軍は平川などに分かれて陣を張り、兵糧を運び渡海して近づいた。城中は兵糧と水路が絶え、脱出・和睦を相談したが頼久は戦場の勝敗は時の運だと答えた。九月十一日、渡河して垣を越えた戦いでは先発隊が敗れ、隈江・上井・安楽・川野土佐らの戦死、平田重宗が近江守を救い敵中へ切り込んだ奮戦、双方の多くの死傷を詳記する。吉田・蒲生が頼久と解囲を相談し、鹿児島・谷山・給黎をめぐる領有を条件として松尾方が城を明けて帰った。久豊は戦死者を悼み親類に報恩を求め、頼久の降伏後は谷山・給黎・石谷・雪松尾などを領したという。

登場人物
島津久豊、酒匂紀伊守存忠(久基注)、伊集院頼久、伊地知対馬守、寄田帯刀長、和泉氏、佐多伯耆守、本田氏、税所氏、平田重宗、吉田氏、蒲生氏、新納氏、隈江右京亮、上井筑前守、安楽豊前守
宛先
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キーワード
島津久豊譜、酒匂の変心、松尾堅城、頼久の三百援兵、両陣と渡海救援、兵糧水路遮断、九月十一日の渡河、城門戦、死傷と前隊敗北、平田重宗の奮戦、吉田蒲生の和議、谷山給黎を条件とする解囲
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0145家譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知季豊譜

伊地知季豊譜が、応永二十四年八月、久林の家臣酒匂紀伊守が河辺松尾城を守り、季豊は伊地知重利らと大隅・谷山・鹿児島の百五十ほどを率いて五歳の久林を城で守ったと記す。頼久の援軍が野頸に陣し、季豊らは地利を見て平川から攻めた。九月十一日の戦いで味方は敗れ三百余人が死に、弟重春らも戦死した。吉田清正の説得で頼久は囲いを解き、谷山・給黎を久林のために受け取ることになり、親族を悼む処置を求めた。その後谷山城も攻めて頼久を降し、久豊方は谷山・給黎・石谷・雪松尾を領したという。

登場人物
伊地知季豊、島津久林、酒匂紀伊守、伊地知対馬重利、伊集院頼久、和泉直久、佐多親久、吉田清正、蒲生氏
宛先
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キーワード
伊地知季豊譜、五歳の久林、百五十の守備、頼久の援軍、地利の見取り、九月十一日の攻防、三百余の死者、重春等戦死、吉田説得、谷山給黎と松尾領有
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0144記録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

山田聖栄自記

山田聖栄自記が、川野辺松尾城は谷山・鹿児島・下大隅の兵で強固に守られ、長門守も七木場から急いで来たと記す。諸地域の兵が集まり匠作は平川にいたが、兵の到着や救援は遅れ、城は兵糧と水路を失って父兄・親類を介する脱出や和睦の相談が起きた。両軍は二手に分かれて野原と川を隔てて陣を置き、九月十一日には垣を越え、開いた城戸から出た兵と太刀打ちになった。隈江・上井・八ヶ代らが戦死し、平田重宗は近江守の軍勢を救って城を切り通し、長野・田代・伊地知将監など双方の死傷を記す。吉田・蒲生が頼久へ、大太郎のために命を惜しまず戦った恩を忘れないよう訴え、谷山・給黎の領有をめぐって交渉した。平田方への働きかけもあり、松尾・谷山・給黎の兵が引き退き、鹿児島へ帰って苦労をねぎらったという。

登場人物
山田聖栄、酒匂紀伊守、長門守、匠作、伊集院頼久、伊地知対馬守、寄瀬田帯刀方長、吉田氏、蒲生氏、平田重宗、隈江右京亮、上井筑前守、新納氏、安楽豊前守、伊地知将監(重春注)、島津大太郎
宛先
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キーワード
山田聖栄自記、松尾の堅持、敵の早い備え、救援軍と諸陣、兵糧水路断絶、城内からの脱出相談、二手の戦闘、九月十一日の開門と太刀打、平田重宗救援、戦死者、谷山給黎の交渉、陣を明け退陣