道胤書下
弘安元年三月十一日 / 冊子 298頁
権執印妙慶の申状に基づき、五大院上家分について訴状どおり下知するよう命じ、異議があれば子細を注申するよう隠岐右衛門尉へ伝えた道胤書下。
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弘安元年三月十一日 / 冊子 298頁
権執印妙慶の申状に基づき、五大院上家分について訴状どおり下知するよう命じ、異議があれば子細を注申するよう隠岐右衛門尉へ伝えた道胤書下。
弘安元年三月十一日 / 冊子 298頁
隠岐右衛門尉に対し、権執印関係の案件を執達するよう命じた道胤の短い書下。
建久9年、正平6年12月23日 / 冊子 180~181頁/原整理番号 62
薩摩国在国司・大前氏東郷斧渕氏の系図。敏達天皇の後胤・橘諸兄の苗裔とし、道胤は幼名菊王丸、東郷弾正少弼・左衛門尉、西前寺殿、法名慈寛を称し、東郷城に居住、建久九年に上洛して内裏大番を勤めた。道武は菊寿丸・兵衛尉・武蔵守、西前寺殿、慈光で、妻を山門院郡司秀忠の女とする。道義は平太郎・蔵人・弾正少弼・摂津守、斧渕を号し、西前寺殿・慈道。正平六年十二月二十三日に渋谷九郎重興が軍勢を催して戦った記事を伴う。道長は平次郎・弾正少弼・相模守、西前寺殿・慈法で、道張(山田)から道久・道宗(荒川)へ分かれる。道将は平六郎・弾正少弼・相模守、西前寺殿・慈徳で、道重へ続く。後半は道盛、道真(今村兵部太夫)と道時・道実(藤川)の系、道信、良道を掲げる。道信は大泉坊・不動院として平佐城・樋脇天神坊に住み三十五町を領し、法名仙香、八十二歳で没した。良道は源五郎・神力坊・不動院で入来院重時の家臣となり、子孫を入来院家臣・斧渕仁兵衛とする。