羽作瀬合戦戦死者交名
永禄十一年正月廿日 / 冊子 185頁
永禄十一年正月二十日の大口・羽作瀬合戦で戦死・負傷した将兵を列挙する交名抄。川上久朗、西郷新八、長野仲左衛門尉、下島甚左衛門尉、蒲地越中守、有馬又次郎らの名を掲げ、一部には所属・死去日・馬越での戦死などの注記を付す。
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永禄十一年正月廿日 / 冊子 185頁
永禄十一年正月二十日の大口・羽作瀬合戦で戦死・負傷した将兵を列挙する交名抄。川上久朗、西郷新八、長野仲左衛門尉、下島甚左衛門尉、蒲地越中守、有馬又次郎らの名を掲げ、一部には所属・死去日・馬越での戦死などの注記を付す。
宝暦11年林鐘日 / 冊子 374頁/原整理番号 188-8
宝暦十一年、蒲地四郎左衛門貞留が、焼失した加世田浄福寺の再建に普請検者として赴いた際、同寺にある蒲地氏先祖の墓を調査した記録。浄福寺の戦亡帳を借り、蒲地帯刀・蒲地左衛門四郎・蒲地新三郎・蒲地越中の四名を確認し、暖土持十兵衛から忠国公下馬札後方の塚について聞き取った。本田用右衛門家が蒲地先祖の墓として花香を手向けてきたとの本田与市左衛門の証言を得て、野町源右衛門の案内で現地を確認し、荒れた墓を整えて道を設け、四霊位の菩提・月忌料として青銅一貫文を納めたことを記す。貞留自身の書留等とも照合できると付記する。
年月日未詳 / 冊子 368頁/原整理番号 73
蒲地越中守が三月十八日に平泉へ通ると、深水頼金らが攻撃して主従十七人を討ち、弓矢を得たことを記す。交通が断たれ平泉の守備が不安になるが、肝付と忠元が堅く守ると答え、百日の番を務めることになった。五月六日には家久の隊が鳥神の尾、大野・宮原の隊が稲荷山に伏せ、敵が荷物を奪おうと出てきたところを戦った。前田らの追撃で敵を崩し、多数を討ち取ったという。
年月日未詳 / 冊子 368~370頁/原整理番号 74
平泉へ向かった蒲地越中守の主従が討たれたため、孤立した守備隊の処置や所領・境界を協議した記事。肝付と忠元が平泉に留まり、百日以内の決着を図ると答えた。五月六日には伏兵を二手に配し、荷物運送を装った兵で敵を誘った。家久が敗走するふりをして敵を引き込むと伏兵が起き、追撃して相良・菱刈勢に大きな損害を与えた。前の勝利を恃んだ敵が次第に衰え、大口城を持ち堅めた経緯まで記す。