旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:332文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
伊東祐尭加冠状
応永廿五年六月十日 / 冊子 75頁/原整理番号 332
伊東祐尭が大脇孫四郎祐為の加冠を行ったことを記す加冠状。応永廿五年六月十日付。
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応永廿五年六月十日 / 冊子 75頁/原整理番号 332
伊東祐尭が大脇孫四郎祐為の加冠を行ったことを記す加冠状。応永廿五年六月十日付。
年月日未詳 / 冊子 167~169頁/原整理番号 47
那須五左衛門家の系図。那須氏祖を頼賢(為義四男)とし、為信を備中守行家の一男、宗高を八島で扇の的を射た与市とする。宗治は文治二年に島津忠久の薩州下向に先陣して日向国臼杵郡に住したといい、義祐は楠正成に従って北条高時・大仏貞直方と戦い、河内国千剣破城で戦死した。元祐は応永四年、筑後国上妻で菊池武政方として大内義弘と戦い、大津主水祐を討つ。高久・祐英らを日州椎葉山小崎城主とし、高治が島津義久の旗下となったこと、慶長十八年の椎葉山一揆後に祐実が安藤対馬守へ預けられ上州高崎で没したことを記す。曽我祐巻は日州宮崎城主曽我祐郷の子で島津義弘に属し、貫祐の養子となる。末尾は祐為が慶長二年に江戸で島津光久へ御目見した記事と、天正六年に高治が近国境警備を命じられ義久旗下に属したとする伝を載せる。