後編2-No.302記事確認度 高
町田忠綱譜
年月日未詳 / 冊子 327頁
町田久倍の長男・町田忠綱が、天正十五年五月八日に島津義久の太平寺での豊臣秀吉への降参に供奉したことを記す短い譜記事。父久倍・弟久幸とともに義久の服属儀礼を支えた町田氏一族の役割を示す。
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年月日未詳 / 冊子 327頁
町田久倍の長男・町田忠綱が、天正十五年五月八日に島津義久の太平寺での豊臣秀吉への降参に供奉したことを記す短い譜記事。父久倍・弟久幸とともに義久の服属儀礼を支えた町田氏一族の役割を示す。
年月日未詳 / 冊子 727頁
町田久倍の子・忠綱が文禄二年春に朝鮮へ出陣し、旧都で島津義弘・久保に拝謁した後、両公に従って巨済島の唐島へ移った経過を記す。 忠綱は唐島の陣中で病死し、享年二十九歳だったという、若い家臣の朝鮮在陣と最期を伝える譜記事。
年月日未詳 / 冊子 327頁
町田氏の梅久・忠栄・久徳・久倍らの系譜と官途を掲げたうえで、久倍の奉公を詳述する。久倍は島津義久の豊肥筑六国への出兵に従軍し、九州征伐後は伊集院地頭として太平寺へ向かう義久の道中警固を担当、二子忠綱・久幸とともに供奉した。さらに義久の上京にも父子で従い、聚楽第で秀吉に拝謁した際には伊集院幸侃ら少人数のみが近侍したという。系図と服属期の随行履歴を併記する記事。