有馬原之城高名究帳
寛永十五年二月廿八日 / 冊子 337~342頁/原整理番号 381-1
田布施士二宮太郎兵衛蔵本の、寛永十五年二月二十八日付『肥前有馬原之城高名究帳』。外題はこの名で、別本は『島原一揆ニ付高名帳』と題したという。新納加賀守・伊地知杢右衛門尉らの鑓合、敵の討取り、弓・鉄砲による射撃、本丸の屏・石垣への取付き、手負、戦死などを、各人の証跡者とともに列記する。出水・高尾野・蒲生・加久藤・大口など各衆を含み、証跡なしとする項目もある。末尾の原記載総計は百五十六人、うち戦死五人。
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寛永十五年二月廿八日 / 冊子 337~342頁/原整理番号 381-1
田布施士二宮太郎兵衛蔵本の、寛永十五年二月二十八日付『肥前有馬原之城高名究帳』。外題はこの名で、別本は『島原一揆ニ付高名帳』と題したという。新納加賀守・伊地知杢右衛門尉らの鑓合、敵の討取り、弓・鉄砲による射撃、本丸の屏・石垣への取付き、手負、戦死などを、各人の証跡者とともに列記する。出水・高尾野・蒲生・加久藤・大口など各衆を含み、証跡なしとする項目もある。末尾の原記載総計は百五十六人、うち戦死五人。
年月日未詳 / 冊子 342頁/原整理番号 381-2
伊地知季安が、田布施士人二之宮太郎兵衛家蔵本を、文化十年七月二十七日付の『園田勘右衛門実吏所写』によって本書へ収載したと記す記事。同所の士・坂元氏も同じ本を所蔵しており、その奥書を次に掲げるとする。
天正5年、天正13年、文禄元年、慶長5年3月28日、慶長11年、寛永4年8月14日、寛永14年3月5日、寛永17年10月7日、明暦2年10月5日、寛文7年11月28日、延宝6年、延宝8年、天和元年、享保11年正月11日、延享2年7月11日、元文4年4月24日、元文6年3月12日、寛保元年7月20日、寛保3年6月7日、明和8年6月27日 / 冊子 30~34頁/原整理番号 10
田布施士・篠原諸左衛門政盛家の庶流にあたる鎌田政香家の略系図。鎌田氏四代清重の二男・篠原清時から十代、篠原政明の二男に発する一流とし、政実は嗣子のない鎌田家へ婿養子として入り、実は上井薫兼の五男で上井覚兼の弟だったと記す。政徳・兼安以下の出生・没年、鬼塚・鎌田・曽木・義岡・伊集院諸家との養子縁組、婚姻をたどり、馬越・清水・小林、田布施・串木野、郡山・平松・中郷・坊津・清敷・帖佐などの地頭職、御使役・近習役を列記する。政親は島津綱貴・光久に近侍し、政興は島津吉貴から名・詞花集・伽羅三種と二重十文字紋を拝領して大御目付役を務め、寛保三年の隠居時に政恒が家督を継いだ。
天正四年八月~ / 冊子 475~476頁/原整理番号 73
天正四年八月、伊東方の軍勢が田原山方面へ進出した際の戦闘を中心とする覚書。湯之尾・飯野周辺での軍勢の移動、交戦、討取などを記し、川上大炊介・次郎九郎らを証人として挙げる。田布施士下村甚右衛門文書に伝わる。