島津忠昌譜
年月日未詳 / 冊子 519頁
文明十七年二月一日、祁答院勢が水引城と東郷・高城方面を攻め、守護方が籠城して反撃し、攻城側を川内宮内へ退却させた経過を記す譜記事。
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年月日未詳 / 冊子 519頁
文明十七年二月一日、祁答院勢が水引城と東郷・高城方面を攻め、守護方が籠城して反撃し、攻城側を川内宮内へ退却させた経過を記す譜記事。
年月日未詳 / 冊子 520~521頁
二月一日以降、祁答院・東郷方が鹿児島へ進攻した戦況を記す。水引城、市来、伊集院周辺で島津忠昌方と攻防を重ね、村田肥前守・吉田治部少輔らが援軍を送った。城の奪還と再占領、部隊の退却を繰り返し、薩摩中央部の戦線が拡大した経過を追う。
(寛永五年)四月十六日 / 冊子 60~61頁
出水を預かる椛山美濃守の休息、亀山家の次男・三男と藤野への知行給付、種子島にいる人物と比志島国隆との接触禁止、平田太郎左衛門の子の所在調査、七島、高岡の御蔵入、水引城付村の扱いなどを列挙した行政覚書。
文書本文の日付:貞和七年六月二日 / 冊子 576~577頁/原整理番号 六三/整理ID TMP-P04-NIKAIDO-D0063
薩摩国八幡新田宮執印左衛門大夫友雄の代友有による、国分平次郎友重らの狼藉の申立てを扱う。 去貞和五年十一月廿八日夜の友雄住所水引城への押寄・合戦・殺害・放火を訴状で述べるとし、与力人・死人・手負交名注文を挙げる。 澁谷太郎左衛門尉とともに、合戦次第と与力人等交名の実否を尋究して注進し、「將又鎮當時狼藉載起請之詞、可被注申状」と執達する。 貞和七年六月二日、源在判、隠岐三郎左衛門入道殿宛。觀應二年六月十六日の惟宗友躬裏書は別層。
年月日未詳 / 冊子 315頁/原整理番号 160
久豊譜が、山門院にいた判官守久は国中で乱を起こそうとし、大太郎の没落後は肥前でも挙兵して薩摩・大隅を手にしようとしたと記す。応永十九年に貴久を大将として守久を攻めると、相良も侵入した。高尾野・天草との多年の好みに援助を期待したが救兵はなく、存忠の山門定着後には伊集院方や高城の兄弟も対立した。大川方は東郷・国府・執印を頼って水引城を守り、三郎は守護方に属したという。