本田親紀指出
寛永9年7月18日 / 冊子 20頁/原整理番号 24
本田親紀が知行高に応じた乗馬奉公を申し出、以前の軍役負担と、知行召上げにより馬を手放した事情を述べる。現有する具足・弓・鉄砲・箙・矢・塩硝・鉄玉・鞍道具を列記し、馬や人員などの不足を届け出る。
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寛永9年7月18日 / 冊子 20頁/原整理番号 24
本田親紀が知行高に応じた乗馬奉公を申し出、以前の軍役負担と、知行召上げにより馬を手放した事情を述べる。現有する具足・弓・鉄砲・箙・矢・塩硝・鉄玉・鞍道具を列記し、馬や人員などの不足を届け出る。
二月九日 / 冊子 101頁/原整理番号 161-2
入来院重国・喜入忠政・島津久賀が山田有栄・島津久元へ、村田経乗が召し寄せられたため五か条の書付を送り、返答を早く求める。本田親紀を同行させ、詳しくは同人を通じて伝えるとする。
文安3年、天文23年、弘治3年4月19日、永禄2年6月16日、永禄9年10月26日、天正6年11月12日、文禄元年7月18日、慶長5年9月15日、慶長13年9月29日 / 冊子 13~17頁/原整理番号 4
本田氏十代家督・重恒(又二郎、信濃守、法名義翁)を祖とする系図。兄元親から家督を譲られ、島津忠国に仕えて家老となったが、国親の讒訴で家督を奪われ、文安三年の上洛中に清水城を攻略され、のち曽於郡で国親に殺された経緯を記す。後裔について、隅州菱刈院・穂北・伊集院・湯之尾等の地頭職、親貞の養子相続と関ヶ原後の新納旅庵との周旋、高城・蒲生・滝ヶ水・牛根・三之山・関ヶ原での戦死、朝鮮出兵・川辺地頭、婚姻・養子による諸家への分岐を収める。
年月日未詳 / 冊子 101頁/原整理番号 161-1
伊地知季安の記事。村田経乗が島原へ渡るに際し五か条を島津久元らへ協議させ、その返答を聞かせるため本田隼人佑親紀を同行させたと記す。目録年月日欄は空欄。