後編4-No.106文書確認度 中
亨徳院正純書状
(慶長十年)九月十五日 / 冊子 32~33頁
亨徳院正純が島津惟新に、注文された茶道具・焼物・紙などの調達と送付について答えた長文書状。注文名の確認、遠路での運送、品物の見分け、茶会用具や使者との相談などを詳しく述べ、今後も必要品があれば知らせるよう伝える。
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(慶長十年)九月十五日 / 冊子 32~33頁
亨徳院正純が島津惟新に、注文された茶道具・焼物・紙などの調達と送付について答えた長文書状。注文名の確認、遠路での運送、品物の見分け、茶会用具や使者との相談などを詳しく述べ、今後も必要品があれば知らせるよう伝える。
年月日未詳 / 冊子 323頁
島津家久譜の記事。家久が領国内の大山から禁裏造営用材を伐り出して献上するよう命じられ、柏原周防入道有閑・土持左馬権頭盈信に監督させたこと、板倉勝重から用材献上への賞賛と役務免除を伝える書状が届いたことを記す。
天正十二年四月三日以後 / 冊子 890~892頁
四月三日以降の有馬方面平定を編年で記す。島津方は神代・井福・森山の降伏と質人提出を受け、諸城を接収して番衆を置き、温泉山再興・神領設定と諫早調略を協議した。十日には水軍百余艘で五ヶ浦・竹崎を焼き、十四日には僧二千人による大施餓鬼と家久嫡子の元服を行った。中旬、宇都顕孝が下野城を明け渡し八代へ出頭した。確定版標題は『島津義久諸』だが、本文は義久公御譜中。