旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:22-2系図・酒匂氏左衛門尉家/軍歴・伝来什物・家例復興旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
酒匂氏左衛門尉系図
永禄四年七月十二日、寛永十五年、宝永元年三月三日~宝永五年閏正月十六日(主要記事) / 冊子 498~501頁/原整理番号 22-2
酒匂氏左衛門尉家の系譜・軍歴・伝来什物の家例を記す。新左衛門尉から治部少輔へ続き、日州目白坂で戦死した人物を置く。源左衛門尉は鎌田尾張守政年とも称し、島津義久に仕え、伊集院忠朗・島津忠将の移動に従った後、永禄四年七月十二日の竹原山合戦で忠将とともに戦死し、配下三十余人も討死した。景宗は義久から正嫡と認められ、肝属郡串良など八町を知行したが、肝属一郡が伊集院幸侃へ与えられると子らは蒲生、のち出水へ移った。景政を猶子、景明を婿養子とする家督継承、後裔の婚姻・早世・地頭職も載せる。酒匂家伝来の観音像と『天之御母衣』は、家督者が千日潔斎・七か月別火を行って一度拝し、太刀・樽肴を献じて藩主へ披露する家例であった。景明・景義の代に中断したが、景安が旧例復興を訴え、宝永元年三月三日に儀礼を再興し、宝永五年閏正月十六日には忠久伝来什物を収めた筥蔵の小番を代々務めるよう命じられた。