旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w04:29覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
大和守久章失踪一件覚書
寛永十七年五月廿六日 / 冊子 74~76頁/原整理番号 29
大和守久章が五月十七日に京都三条宿を出て帰らなかった件について、従者二人、持ち出した腰物・衣類・箱、宿の手配、茶屋や宿の亭主への聞き取り、京都各地を分担した捜索を箇条書きにする。宿からの行方を確認できないまま五月二十六日に伊地知重政・相良権兵衛尉が連署した調査記録。
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寛永十七年五月廿六日 / 冊子 74~76頁/原整理番号 29
大和守久章が五月十七日に京都三条宿を出て帰らなかった件について、従者二人、持ち出した腰物・衣類・箱、宿の手配、茶屋や宿の亭主への聞き取り、京都各地を分担した捜索を箇条書きにする。宿からの行方を確認できないまま五月二十六日に伊地知重政・相良権兵衛尉が連署した調査記録。
年月日未詳 / 冊子 51~52頁/原整理番号 49の8
季安が月・杉の軍勢と『太平記』の十五夜・月弓の記事を引き、五手に分かれた陣編成を考証する。新納殿を越後守実久とし、その手に御一家の衆、杉の手の大将本田信濃守重親に地家の御内衆が付いたと解する。北原を梶原氏とみなし、左近尉の御幡指に関する記載と結び付ける。
年月日未詳 / 冊子 59~66頁/原整理番号 57
天正八年八月十九日の肥後芦北郡水俣城をめぐる三か国勢の陣立を記す。家久の先陣、忠平の中陣、義久の本陣に関わる大将・地頭・外城衆・御内衆を列挙し、武具奉行、旗本、手替、付衆、台所などの役人数を記す。本文の陣別小計は三万一千・三万一千・五万三千人で、末尾の十一万五千人に合う。多数の異本注に人名・人数・外題の違いがあり、季安の校合上の疑いも併記される。