諸調書書抜
年月日未詳 / 冊子 155~157頁/原整理番号 43-1
御関狩・御馬追に関する諸調書の書抜。天正四年の近衛前久滞在時に春山の御関狩が行われた記録を挙げ、関狩が出陣、馬追が帰陣の儀式だという古老の伝承を検討する。膳・三献などの作法と照らして単純には認められないとし、吉野の御牧と馬追の開始年代も旧記の記載を比較して確定を避ける。
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年月日未詳 / 冊子 155~157頁/原整理番号 43-1
御関狩・御馬追に関する諸調書の書抜。天正四年の近衛前久滞在時に春山の御関狩が行われた記録を挙げ、関狩が出陣、馬追が帰陣の儀式だという古老の伝承を検討する。膳・三献などの作法と照らして単純には認められないとし、吉野の御牧と馬追の開始年代も旧記の記載を比較して確定を避ける。
明和四年丁亥(正月~十二月の記事) / 冊子 154~155頁/原整理番号 356/整理ID 356
明和四年の公辺行動を月日順に記す。正月元日に御座間へ出て寺で廟を謁し、三日に御座間・大御書院で賀正を受け、十日に増上寺・上野を訪れる。十三日は雨雪、散楽の講を始め、公が翁を舞い松山侯が小鼓を担う。十五日に造朝。三月十日には重さ七分の雹が降り、前夜に夫人が女児を流産したと記す。十八日に護摩所へ首途の礼。四月三日、関山金暉が命を承け相良長興に四書五経・新刻蒙求・楚辞箋註・通俗忠儀水滸伝・小学・孝経大儀を買わせ、ほぼ百冊となる。十六日、大家から右近将監、西丸から周防守を使者として品が賜られ、帰国を命じられる。十八日に朝謁して拝恩し、芝邸から四月二十一日に出発する。桂織部久中を国老、新納四郎久詮を大目付とする記事がある。五月七日伏見、十日大坂邸、十三日出船、二十五日笠紗島、六月六日に自国から分かれて築地に着船し府城へ至り、小松仙十郎を江戸へ謝恩に派遣する。六月十二日南泉府、十五日臨朝、二十三日稲荷・福迫・護摩所・霊府表御看経所、七月十五日浄光・福昌・恵燈三寺を訪れる。七月二十七日、伊地知季周らの演者が散楽を奏し、公が喜ぶ。九月六日に桜島へ行き十四日に戻り、閏月朔日は舟で児水へ、綾君は温泉のため陸行し十月二日に戻る。十一月三日に綾君のもとで流馬を観、二十四日は公と綾君が垂水邸へ行く。十二月四日島津鐵熊宅で罪人の供述を聞き、六日西田館を訪れる。十七日は大雄山から築地へ戻り亭で宴飲し、貴傅・仁礼らを賓客、鎌田愛太夫・田中七左衛門・侍医を給仕、島津玄蕃・入来院大和を庖丁人頭、町田監物・山岡齋宮を庖丁人として各々盛装で集まり、五章を演じ丑刻に帰城する。十八日は綾君と築地館を訪れて餞別を受け、十九日は諏訪・安養院・祇園へ行き舟で戻り、二十一日は山下館で妙心君の餞別、二十四日は磯で散楽、二十五日は予告なく高橋此面宅を訪れる。