鹿屋兼詮覚書
応永二年三月十七日 / 冊子 214頁/原整理番号 548
鹿屋周防守兼詮が、日向国飫肥で各家の由緒を書き記し、弓馬の道を嗜んで三日間の犬追物に参仕したことを後代の子孫へ伝えるために記した覚書。弟が他家の養子となって豊浦左近将監幸綱と名乗ったこと、惣領家は肝付であるべきことを付記する。応永二年三月十七日付。
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応永二年三月十七日 / 冊子 214頁/原整理番号 548
鹿屋周防守兼詮が、日向国飫肥で各家の由緒を書き記し、弓馬の道を嗜んで三日間の犬追物に参仕したことを後代の子孫へ伝えるために記した覚書。弟が他家の養子となって豊浦左近将監幸綱と名乗ったこと、惣領家は肝付であるべきことを付記する。応永二年三月十七日付。
応永二年三月十七日 / 冊子 118~119頁/原整理番号 2-1
日州飫肥で三日間行われた犬追物の参加家々を後代子孫の形見として記した覚書。弟が他家の養子となって豊浦左近将監幸綱と名乗り、惣領家は肝付であるべきことを述べる。
年月日未詳 / 冊子 164~165頁/原整理番号 44
佐々木氏元祖式部大夫成頼の後裔とする野村氏系図。盛綱は佐々木三郎ともいい、仁安元年に藤九郎盛長の加冠を受けたため盛綱と号し、加治三郎左衛門尉を称した。源頼朝に仕えて功を立て、出家して西念を号したという。弟の加治太郎信実や、建仁年間に戦死した小三郎盛秀以下、久綱・実季・実綱・長綱等の諸系線を掲げる。盛蓮は佐々木四郎坊として日州四所庄へ下向し、慶幸は近江白莚郷領主、頼親は野村杢左衛門を号して伊東信濃守祐光の一族として日州を領し、近江国野村領主とも伝える。盛秀の日州廣原戦死、康綱の谷山・飯田合戦での軍功、光綱の根白合戦、三俣下城での討敵、元綱の末吉戦死を記す。後半は松綱以下の諸分流、伊東義益家に関わる御福園の記事、朝鮮での戦死、養子・官途・通称を列記する。