後編1-No.396記事確認度 高
寺山直久譜
永禄十年十二月七日~永禄十一年三月九日 / 冊子 176~177頁
吉田地頭となった寺山直久が、永禄十年十二月七日に羽月へ守兵を率いて軍務に就き、翌年三月九日の帰陣途中に大口城から出た球磨勢の伏兵に遭ったことを記す。吉田衆と家臣約二十人が戦死し、直久も深手を負って吉田本城へ戻った後に死去した。
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永禄十年十二月七日~永禄十一年三月九日 / 冊子 176~177頁
吉田地頭となった寺山直久が、永禄十年十二月七日に羽月へ守兵を率いて軍務に就き、翌年三月九日の帰陣途中に大口城から出た球磨勢の伏兵に遭ったことを記す。吉田衆と家臣約二十人が戦死し、直久も深手を負って吉田本城へ戻った後に死去した。
永禄十年 / 冊子 161頁
寺山氏の一族・子女を記す系図。寺山直久の娘が肝付雅楽助の室となり、その母を島津中務太輔忠成の末女とすること、四郎左衛門入道定雲が永禄十年に猿渡休費の娘を母として生まれたことなどを載せる。
永禄十一年二月廿一日~十二月十九日 / 冊子 185~186頁
永禄十一年二月二十一日の飫肥方面の合戦を中心に、同年各月の戦死者を日付別に列挙する交名抄。北郷忠俊・久周、本田親豊、土持頼綱、和田匡郷ら多数のほか、三月九日の寺山直久、同月二十三日の佐多経久、八月・十二月の戦死者を記す。
年月日未詳 / 冊子 559頁
島津国久六男の光久を寺山氏元祖とし、実子がなかったため大野忠惜の二男直久を猶子としたことを記す。直久が谷山神前城和睦の人質となったのち、島津貴久から五ヶ別府を与えられ、寺山の狩倉にちなみ寺山氏を称した由来を載せる。