旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:27-4系図・郡智尾権現社家丸氏/奉公・軍役記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
郡智尾権現社家丸氏系図
明応7年~宝暦年間(系中) / 冊子 518~528頁/原整理番号 27-4
大隅国郡智尾権現の社家・丸氏について、明応7年の智尾権現上棟文に見える建部弟子丸宗弘(治部左衛門尉)を起点とし、宗元・源次・宗益・宗辰・宗重・宗武・弘之・弘中・弘充・宗方・宗時・宗意・宗茂・宗信・宗祐・宗門・宗安・盈隆らへ続く系譜。備前守らが島津忠隆・貴久期の志布志城・蒲生城などの戦いで討死したこと、宗益が日向福島警衛、河辺野間名三百斛など合計六百斛余の領知と地頭職を得たこと、宗辰が朝鮮出兵で軍功を挙げたことを記す。宗重以後は綱久・綱貴らへの奉公、京都御蔵奉行、琉球在番、江戸供奉・茶屋勤、智尾権現社殿の修造、各村の地頭職・御目付役・小姓役などを詳細に列挙する。宝暦年間には琉球在番からの帰帆が暴風で損傷しながら帰着して賞された記事があり、別系には肥前島原の一揆時の動員、日向国真幸院吉田地頭職六百斛、家久看病、朝鮮軍功感状などが見える。鹿児島の大火で宗茂宅と家伝・武具が焼失した際、宗茂が官庫へ納めていた模写を根拠に証判・感状を再下付された経緯も記す。各人の生没年・年齢・法名、母・妻の出自、女子の婚姻、養子、分家、無嗣断絶を併記し、盈隆と養子・後裔までを収める。