新納勘七郎添書
「安永五年」七月二日 / 冊子 428~429頁/原整理番号 176-1
小川内の関狩の起源に関する丸田利兵衛の伝聞を写して保管していると、竹村喜之助へ知らせる。丸田の慶長十四年説に対し、差出人は天正年間に始まったと考えるが、ほかには聞いていないとする。役所も探したものの、寛永十一年の火災で焼失したため確認できないと報告する。
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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
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「安永五年」七月二日 / 冊子 428~429頁/原整理番号 176-1
小川内の関狩の起源に関する丸田利兵衛の伝聞を写して保管していると、竹村喜之助へ知らせる。丸田の慶長十四年説に対し、差出人は天正年間に始まったと考えるが、ほかには聞いていないとする。役所も探したものの、寛永十一年の火災で焼失したため確認できないと報告する。
年月日未詳 / 冊子 153~155頁
天正十四年三月二十七日の伊地知蔵人重増をはじめ、天正年間に豊後・筑前・筑紫・日向などで討死した島津方武士を、氏名・戦場・年齢・所属・同時戦死者とともに列挙する『殉国名藪』。岩屋城攻め、豊後陣、高城・赤城など各地の戦死者を収め、父子・兄弟・主従がともに戦死した例や遺族関係まで付記する。九州統一戦で島津軍が負った人的損失と家臣団構成を具体的に追える名簿史料である。
享保十四年十二月 / 冊子 38頁/整理ID 34
領地境界・石高と過去の証文をめぐる申立てについて、島津継豊が古代以来の由緒や天正年間の朱印状・検地帳等を照合し、関係者で協議して処理するよう回答した書付。
永禄元年3月19日、文禄元年、慶長5年1月12日、元和元年5月、明暦3年9月17日、元禄7年、天保7年7月ほか / 冊子 278~280頁/原整理番号 109
都城臣上原甚左衛門家について、上原宮内左衛門の父・長門守以来の北郷氏への奉公と近世の子孫をたどる系図。父祖は豊州家に仕えて飫肥へ移り、北郷忠親が豊州家を継いだ後に北郷氏へ臣従したと伝え、宮内左衛門は永禄元年三月十九日、北郷時久に従って肝付氏と恒吉宮ヶ浜で戦い死亡し、法名を長阿弥陀とする。宮内左衛門の戦死後、時久の許可で養子となった野崎丹後左衛門入道正金の嫡子は、天正年間に旧地回復の使者として二十八人を率いて飫肥へ赴き、文禄元年には北郷忠虎に従って朝鮮へ出陣した。さらに慶長五年茶園尾陣で没した齊次郎、元和元年に北郷忠能に従い大坂へ出陣した尚保、尚貞・尚盛・尚明・尚時・尚純・尚次・尚侍・尚政・尚常らの出生・没年、法名、婚姻・養子関係を収め、末尾に元禄七年の再撰書出から抄出した略系を天保七年七月に伊地知季安が記したと明記する。
天正13年(1585)・寛永5年(1628) / 冊子 381頁/原整理番号 191
焼失した蒲池休右衛門家の系図に基づく家伝と、記主自身の考証を併記した覚書。筑後国蒲池城主の蒲池家は天正年間の合戦で敗れ、備中入道が天正十三年に島津義久へ属して千石を与えられたとする。備中入道の養子新助は山田民部入道性円の兄で小根占地頭、その嫡子が八郎左衛門で、記主は八郎左衛門の猶子だと述べる。備中入道を野田地頭とする家伝は当初不明としながら、寛永五年の御人数賦帳に『野田蒲池備中入道』とあるため正説と考えるに至った。
嘉永五年閏二月十八日 / 冊子 146~147頁/原整理番号 40
伊地知季安による『御旧式類抄』の奥書。年中儀式の旧記を提出する命を受け、伊地知家伝来の年頭椀飯・五節供・年男日記などの史料を類集し、関連日記を併せて収録した経緯を説明する。天正年間の年男日記は筆者ごとの異同を比べられるよう全文を載せ、朱筆で考証を加えたと述べる。他家の日記など未調査の史料が残ることと、短期間の編纂による限界を断り、嘉永五年閏二月十八日に記す。
元亀三年~天正年間 / 冊子 319~320頁
禰寝・肝付・伊地知方が島津氏に従わなかったため、島津軍が下大隅へ渡り早崎を陣として小浜城を攻め、前陣と号したことを記す。のち禰寝重長が島津方へ出頭すると伊東・肝付・伊地知勢が禰寝麓を攻め、喜入季久が迎撃したが、弟忠通・久績以下十余人が戦死した。最終的に肝付・伊地知も帰順し、伊地知氏には下城一所が与えられ鹿児島に在住した。
(天正年間)三月一日 / 冊子 517頁
島津家当主が、山田氏所持の御当国家の日記を見たいと望んでいるため、早々に持参し、遅延しないよう求めた村田経定書状。
(天正年間)十月十八日 / 冊子 526頁
伊集院忠棟から紅糸二十斤が届いたことに満足し、詳しくは石田三成から伝えるとした豊臣秀吉朱印状写。
(天正年間)十月十八日 / 冊子 552頁
伊集院忠棟から紅糸二十斤が届いたことに満足し、詳しくは石田三成から伝えるとした豊臣秀吉朱印状案。No.1186と同文のため本文では省略される。
天正年間を中心とする叙述/末尾に安政六年未九月の識語 / 冊子 555–620(扉を含む。原PDF p1が扉、p2–67が本文)頁/原整理番号 無番号
新納忠元の出自・初陣から島津貴久・義久らへの奉公を年代順に記し、大口・飯野などでの伊東氏等との戦闘、九州各地の攻略・守城・調略・軍議、豊臣政権下の上洛と朝鮮出兵に伴う出陣・輸送・籠城・撤兵、帰国後の領地・家政・寺社・家督、八十三歳での死去と妻子・子孫を叙述する。和歌・書状・起請文等を挟み、末尾に伊地知季安が諸記録を比較して忠元の軍功・人物を評し、安政六年未九月の識語を付す。