年代記
年月日未詳 / 冊子 841頁
天文十六年四月朔日、六月十八日の洪水、七月の大風雨など、同年の天候・災害と寺社の被害を年代順に記す。
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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
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年月日未詳 / 冊子 841頁
天文十六年四月朔日、六月十八日の洪水、七月の大風雨など、同年の天候・災害と寺社の被害を年代順に記す。
年月日未詳 / 冊子 839頁
天文十六年、伊東勢が飫肥本城・新城を攻め、北郷忠直らが戦死し、攻防の末に新城が陥落した経過を記す。
年月日未詳 / 冊子 839~840頁
天文十六年正月、郷原をめぐって北郷方と都城方が戦い、忠親の長男忠豊らが兵を率いて攻防した経過を記す。
年月日未詳 / 冊子 840頁
天文十六年、北郷忠直が飫肥南郷新城へ移り、伊東勢の攻撃を受けて戦死したのち、北郷方が新城をめぐって戦った経過を記す。
年月日未詳 / 冊子 840頁
天文十六年四月、本田兼親の後室らが水田二段を楞厳寺へ寄進し、調所恒房がその経過を記した記事。
年月日未詳 / 冊子 845~846頁
天文十六年、飫肥・清水城などの戦闘で討死した北郷忠直ら島津方の武士を日付・戦場とともに列記する。
年月日未詳 / 冊子 846頁
天文十六年、伊東義祐方と北郷忠直・源七郎方が日向山東、清水城、姫木城などをめぐって戦った経過を記す。各城への攻撃・救援、北郷方と本田董親らの進退、諸将の討死を追い、城の帰属変化と敗兵の退却までをまとめる。
文治2年8月1日、大永年間、天文14年冬、天文15年2月23日、天文16年 / 冊子 26~29頁/原整理番号 9
鎌田権頭通清の三代の孫・蔵人太夫光政の二男である加賀守政重の流れを引く、鎌田愛大夫政詮家の略系図。島津忠久が源頼朝から薩摩・大隅・日向三州を領するに際し、政重が難波・長野・石塚・福崎氏ら三州の御家人と協議して薩摩へ下向し、五子をまとめて関東へ報告したのち、文治二年八月一日の忠久入国に供奉した由緒を記す。後裔を末吉・串良・穆佐・田布施・鶴田・加治木・財部などの庶流とともに掲げる。政真は川辺の神殿に生まれ、島津実久に属したのち神殿を日新公へ献じて貴久に仕え、天文十五年二月二十三日に伊集院から開聞山へ赴いて出家し、諸国へ法華経を奉納する六百八十日の廻国を天文十六年に成就した。末尾に槿花の化生女性が現れて消えた奇瑞と朝顔を詠む二首の和歌を収める。
天文十六年三月朔日 / 冊子 840頁
肝付氏の老臣らが、串良・堀町などの田畠と屋敷を区分し、各所の面積・名請を列記した知行目録。
天文十六年四月廿一日 / 冊子 840~841頁
富山某・村岡某が、本田兼親の後室による水田二段と銭十一貫文の楞厳寺寄進を承け、寺領として永代相続させる旨を連署した寄進状。
天文十六年六月廿二日 / 冊子 841頁
正八幡宮中門造営に際する茶番を、一番・二番に分け、儀景・永延・俊延らの担当を列記した書上。
天文十六年七月十七日 / 冊子 841~842頁
島津家の御文庫箱に納めた綸旨・御内書・足利尊氏の御判など、重書十五嚢を記録した目録。
天文十六年七月晦日 / 冊子 842頁
足利義時が真如寺の住持職について、先例に任せて執務するよう命じた補任御教書。
「天文十六年」九月三日 / 冊子 842頁
近衛稙家が島津貴久に、長く音信がなく残念であると述べ、今後は隔意なく連絡するよう求めた書状。
(天文十六年)九月九日 / 冊子 842頁
近衛稙家が本田紀伊守に、贈られた芳墨・段子・茶碗などへの謝意を伝え、今後も連絡を求めた書状。
「天文十六年」九月九日 / 冊子 842頁
近衛稙家が本田又二郎に、折札と香炉・丁香の贈物への謝意を伝え、今後も連絡を求めた書状。
(天文十六年)九月十五日 / 冊子 842~843頁
近衛稙家が本田紀伊守に、久しく音信がなかったことを述べ、段子・白髪などの贈物への謝意を伝えた書状。
(天文十六年)九月十五日 / 冊子 843頁
日野町資将が本田紀伊守に、万徳寺の上洛と芳札を受けたことを述べ、染筆や委細の報告を求めた書状。
(天文十六年)九月十五日 / 冊子 843頁
日野町資将が本田紀伊守に宛て、万徳寺上洛の際に受け取った芳札への謝意を述べた書状。万徳寺の寺領と公事負担、武家との折衝で生じた問題を説明し、寺院の権益が損なわれないよう関係者への働き掛けと具体的な取り計らいを求める。
(天文十六年)九月十五日 / 冊子 843頁
日野町資将が本田又次郎に、左京太夫への取り次ぎと太刀一腰の献上について調進を求めた書状。
「天文十六年」九月十五日 / 冊子 843頁
日野町資将が本田左京太夫に、万徳寺からの芳札を受け、返書の取り次ぎと委細の報告を求めた書状。
(天文十六年)九月十五日 / 冊子 844頁
日野町資将が本田左京太夫に、書状の披見と再会を喜び、皿・白髪を贈り、万徳寺の権利に関する説明を求めた書状。
(天文十六年)十一月三日 / 冊子 845頁
北郷忠相が本田左京太夫に、御札と委細の命令を披見したこと、万徳寺・藤澤江の上洛に伴う対応と報告を求めた書状。
(天文十六年)十二月廿八日 / 冊子 846頁
北郷忠相が本田左京太夫に、歳暮の祝意と賀書への謝意を伝え、翌年の吉兆と変わらぬ厚意を願った書状。