旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:29系図・惟宗姓市来氏/系譜考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
惟宗姓市来氏系図
承平6年~承久3年(系中) / 冊子 530~532頁/原整理番号 29
醍醐天皇の皇子保明親王・慶頼王の系統から保頼・頼房らへ続き、承平6年に惟宗姓を賜ったとする市来氏の系図。頼明・師貞・師行・時賢・行賢・国賢・天養・順賢・行直らの位階・官途を列記し、行直が大隅国宮執印に補され、順賢が姶良庄預所職に補任されたことなどを記す。教親・孝言・基言・広言へ続く古系図について、子を弟、弟を子として接続した箇所があり父子兄弟の順序を判別できないため、教親以前は古系図のまま残し、以後を校正したとの史料批判を付す。広言は和歌に熟達し、その詠歌を『玉葉和歌集』に収められたとし、丹後局が頼朝の寵を受けて男子を産み、嫉妬を避けて広言のもとへ下向し、その子孫が薩州で広言家を継いだという伝承を載せる。忠康は承久の兵乱で関東方として宇治川で戦死し、忠久は島津豊後守、忠季は若狭国守護職を称して島津を冒し黒十字紋を用いたとする。忠経も後鳥羽院に選ばれた武芸者十人の一人として承久3年に官軍側で戦死し、友成は広言の猶子となって市来家を相続したが、実父は国分左衛門尉友久で執印一族だと説明する。