山口直友書状
(慶長十九年)八月八日 / 冊子 542頁
現地での取扱いを見届けた上で採用・改定すること、宗教・政務上の処置を慎重に進めることを述べ、長谷川忠兵衛・茶屋四郎次郎らの動向にも触れて報告を求めた山口直友の書状。
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(慶長十九年)八月八日 / 冊子 542頁
現地での取扱いを見届けた上で採用・改定すること、宗教・政務上の処置を慎重に進めることを述べ、長谷川忠兵衛・茶屋四郎次郎らの動向にも触れて報告を求めた山口直友の書状。
(慶長十九年)八月十日 / 冊子 543頁
島津義弘が、他所との銭・米の取引や相渡し、紀州・陸奥守との相談、長谷川忠兵衛・茶屋四郎次郎らの仲介について内々に論じ、共同の書付を差し出すよう求めた書状。
延徳三年正月廿一日 / 冊子 556頁
延徳三年正月二十一日の犬追物手組について、参河守以下の参加者と各人の疋数を記録した一覧。
元亀二年十一月廿日~天正元年 / 冊子 305~307頁
肝付・伊地知方の大船団が桜島を経て鹿児島湾へ侵入した海戦と、その後の下大隅征討を長文で記す。伊集院善左衛門が海戦で戦死した後、瀧水では平田新三郎ら約五十人が上陸を阻み、島津家久が瀬戸村で追撃して敵船を軽石へ退けた。続いて早崎・小浜城を攻め、伊地知美作守が退去した城へ家久が入り、牛根城も攻撃したが諏訪神事のため一時帰陣したとする。海戦年次には本文内注記との相違がある。
本文日付:嘉元三年六月八日 / 冊子 328~329頁/原整理番号 四八六/整理ID TMP-P02-NENE4B-D0486
さたのむら内のかつさわ名の水田三やら、はこやまのかりくら一所について四至を示す。 先に四郎次郎きよなをへ譲ったと述べる一方、用があるため銭十三貫五百文を代価としてねしめの九郎殿へ売り渡す。 「ほんミやうにとゝめおハぬ」と記し、これに背いて異論を起こす者はさいれんの子孫にあるべからずとする。公事の帰属は留保する。 本文署名はしやミさいれん、証人はしやミくわんせい。
日付未確認:未確認 / 冊子 313頁/原整理番号 四四七/整理ID TMP-P02-NENE3-D0447
犬追物の手組として、祢寝右馬助・山本太郎五郎などを上下の配置に列記する。 各人名の傍に十字状等の記号を配し、左端の別行に「検見祢寝駿河守」と記す。