後編1-No.453記録確認度 高
箕輪伊賀覚書
永禄十一年八月十九日 / 冊子 201~202頁
永禄十一年八月十九日、大口勢が深水三河守を大将として堂崎に陣を取り、伊東勢も桶比良へ進出した。義弘は飯野へ戻り、菱刈表から援兵が送られたが、大雨で誘引・伏撃策は実行できなかった。大口方は馬越・田中河内で番替え部隊を襲い、川上丹波守・堀之内二郎左衛門と是枝大膳坊が戦死した。日新は長陣と損耗を避けるため山野を相良方へ譲って一時和睦するよう勧め、感応寺和尚の仲介で和議が成立した。
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永禄十一年八月十九日 / 冊子 201~202頁
永禄十一年八月十九日、大口勢が深水三河守を大将として堂崎に陣を取り、伊東勢も桶比良へ進出した。義弘は飯野へ戻り、菱刈表から援兵が送られたが、大雨で誘引・伏撃策は実行できなかった。大口方は馬越・田中河内で番替え部隊を襲い、川上丹波守・堀之内二郎左衛門と是枝大膳坊が戦死した。日新は長陣と損耗を避けるため山野を相良方へ譲って一時和睦するよう勧め、感応寺和尚の仲介で和議が成立した。
辛未11月5日司法省・鹿児島県庁 / 冊子 855頁/原整理番号 1075の3/整理ID 1075-3
絞・斬・梟示等の刑を受けた者の遺骸を親族が引き取りたい場合は、所定の書付を添えて願い出させる。東京では囚獄掛、各府県では刑屍取計の役所へ申し出る手続を管内へ布告する。辛未十一月五日。
年月日未詳 / 冊子 365頁/原整理番号 69
大口から堂崎の通路へ陣を取り、深水三河守を大将に野伏を掛けたことを記す。伊東方が馬関田などの村を焼いた状況を述べ、島津側は飯野へ加勢するふりで伏兵を置こうとしたが、大雨で作戦が進まなかった。田中河内の伏兵では川上丹波守らが戦死した。長陣による疲労と損耗を受け、日新が和睦を勧め、感應寺を介した調法が行われたという。