島津義天譜
年月日未詳 / 冊子 283~285頁
応永二十年十二月上旬、島津久豊が伊集院頼久とともに菱刈の凶徒討伐へ進軍した義天公譜記事。吉田清正・蒲生清寛・佐多忠豊・川田・比志島諸氏が参加し、鹿児島本城・東福寺城周辺で交戦した。諸将の戦死と忠功、敵方の後退、帰陣までを記し、討伐軍の構成と損害を示す。
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年月日未詳 / 冊子 283~285頁
応永二十年十二月上旬、島津久豊が伊集院頼久とともに菱刈の凶徒討伐へ進軍した義天公譜記事。吉田清正・蒲生清寛・佐多忠豊・川田・比志島諸氏が参加し、鹿児島本城・東福寺城周辺で交戦した。諸将の戦死と忠功、敵方の後退、帰陣までを記し、討伐軍の構成と損害を示す。
年月日未詳 / 冊子 286~287頁
応永二十年十二月上旬、伊集院頼久方が鹿児島本城を攻撃した戦況を記す。蒲生清寛・吉田清正・比志島・河田諸氏らが関わり、久豊方は東福寺城と鹿児島周辺で応戦した。屋形への侵入と焼討ち、城下での交戦を経て両勢が進退した経過を追う。
年月日未詳 / 冊子 297~298頁
応永二十四年秋、伊集院頼久方が松尾城・谷山城をめぐって島津久豊方と戦った記事。久豊が援軍を送り、山田・阿多・田代・吉田・蒲生・新納・平田らが交戦し、多数の死傷者を出しながら城の救援と奪回を図った経過を記す。
年月日未詳 / 冊子 272~278頁
応永二十年、渋谷氏の侵攻を発端に島津久豊・久世方と伊作久義・北郷知久らが争った長編『西藩野史』記事。清水城、鹿児島、松尾城、谷山、島津山城を転戦し、吉田清正・蒲生清寛・新納忠臣ら諸勢が加勢した。和睦と再戦、城の占拠・奪回が繰り返される戦線の推移を追う。
永禄十二年正月三日~十一月廿七日 / 冊子 210頁
永禄十二年に島津方で戦死・討死した者を月日別に列挙する。正月三日から十一月二十七日まで、三月十八日の蒲池越中守ら、五月二十三日・二十五日の伊地知重次、貴島源五郎ら、多数の家臣・従者の名と一部の戦場・討死事情を記す。
年月日未詳 / 冊子 309~310頁/原整理番号 145
伊地知季豊譜が、応永二十四年八月、久林の家臣酒匂紀伊守が河辺松尾城を守り、季豊は伊地知重利らと大隅・谷山・鹿児島の百五十ほどを率いて五歳の久林を城で守ったと記す。頼久の援軍が野頸に陣し、季豊らは地利を見て平川から攻めた。九月十一日の戦いで味方は敗れ三百余人が死に、弟重春らも戦死した。吉田清正の説得で頼久は囲いを解き、谷山・給黎を久林のために受け取ることになり、親族を悼む処置を求めた。その後谷山城も攻めて頼久を降し、久豊方は谷山・給黎・石谷・雪松尾を領したという。
年月日未詳 / 冊子 287頁/原整理番号 95-1
『応永記』が、応永五年正月十二日、総州は山を越えて申木野に留まり、市来・吉田へも相談したと記す。別府との争いでは両人とも相手方を手に負えないと答えたため、伊作方の意向に配慮して合戦せず、下野守忠頼と若狭守清正を派遣した。上意を聞いて双方の理を立て、鹿児島へ状を送って交渉を進めたという。