北郷翁久譜
年月日未詳 / 冊子 632頁
北郷翁久が甑島滞在中に本多佐渡守正信の死去を聞き、弔書と香奠の白銀十枚を山田民部少輔に託し、同日に加治木へ帰ったことを記す北郷翁久譜の記事。
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年月日未詳 / 冊子 632頁
北郷翁久が甑島滞在中に本多佐渡守正信の死去を聞き、弔書と香奠の白銀十枚を山田民部少輔に託し、同日に加治木へ帰ったことを記す北郷翁久譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 645頁
北郷翁久が登城して徳川秀忠に拝謁し、太刀・馬代を献上して単物・帷子・太刀・馬・羽織を拝領し、翌月暇を得て帰国したことを記す北郷翁久譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 819頁
寛永元年八月二十二日、島津家久が鹿児島城で長千代丸と弟虎菊丸を元服させ、翁久・忠亮の名を与えたことを記す。理髪役はそれぞれ島津久元・伊勢貞昌が務め、両名が太刀・鎧・弓矢・鞍馬を献上し、家久から刀・太刀・馬代などを賜った北郷翁久譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 37頁
北郷翁久の婚姻記事。寛永四年七月、島津家久の第三女と鹿児島の邸宅で婚礼を挙げ、太刀・鎧・鞍などを賜ったこと、翌寛永五年七月二十一日に十九歳で没したことを記す。
年月日未詳 / 冊子 734頁
北郷長千代丸が十一歳で再び人質として江戸へ赴き、旅家老北郷善兵衛久繁と林六郎兵衛重康が随行し、久繁の病死後は北郷仲左衛門久永が代わったことを記す系譜記事。家久が長千代丸へ送った書状の正文が続くと注記する。
年月日未詳 / 冊子 734頁
元和九年十二月、江戸へ人質として赴いていた北郷長千代丸が帰国したことを記す系譜記事。
年月日未詳 / 冊子 737頁
北郷長千代丸翁久が江戸滞在中に酒井忠世・土井利勝・酒井忠利・朝倉宣正ら幕府要人と交わした、歳暮・端午の贈答に関する書状群を収める譜。
六月七日 / 冊子 361頁
将軍から暇を与えられ、名物の太刀・脇差と逸物の馬二疋などを拝領したので安心するよう伝える。八日に江戸を発って上洛する予定を義弘にも知らせるよう求め、島津久敏の到着と長千代の帰国方針も報じた島津家久書状。
年月日未詳 / 冊子 732頁
北郷忠能以下の嫡流系図。忠能の死に紀藤丹波・土屋七左衛門が殉死したこと、翁久・忠亮の早世、島津家久の第三子久直が北郷家へ入ったこと、島津光久の子久定・忠長・忠智へ続く相続を記す。
十二月廿一日 / 冊子 737頁
前日の訪問と歳暮祝儀として小袖一重・内島を持参したことに深く謝し、登城中で面会できなかったのを残念がり、改めて対面したいとした酒井忠世書状。
十二月廿一日 / 冊子 737頁
歳暮の祝儀として小袖と綾島を贈られた懇意に謝し、詳しくは対面時に述べるとした土井利勝書状。
五月四日 / 冊子 737頁
端午の祝儀として帳子三つのうち一品を持参したことに謝し、登城中のため面会できなかったのを残念がり、後日の対面を期した酒井忠利書状。
五月四日 / 冊子 738頁
端午祝儀として帷子三つのうち単物一つと亀屋縞を贈られた懇志を喜び、謝意を伝えた土井利勝書状。
五月四日 / 冊子 738頁
端午の祝儀として帷子一重のうち単物を進上し、末永い厚誼を願って祝詞のしるしとした朝倉宣正書状。
年月日未詳 / 冊子 617~618頁
北郷長千代丸が島津家久の人質として都城から駿府へ赴き、徳川家康に拝謁して太刀・馬代等を献じ、本多正純の取次を受けた経緯と、その後の江戸・京都方面への移動を記した北郷翁久譜の記事。