佐多久慶譜
年月日未詳 / 冊子 494頁
佐多久慶の母が島津左兵衛尉久の娘であったこと、永禄年間の出生、天正十九年に三州の所領改替を受けて旧領知覧から河辺へ移ったことを記す。久慶が同年六月二十一日に没したことも載せ、佐多氏の婚姻と所領移動を簡潔に伝える譜の記事。
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年月日未詳 / 冊子 494頁
佐多久慶の母が島津左兵衛尉久の娘であったこと、永禄年間の出生、天正十九年に三州の所領改替を受けて旧領知覧から河辺へ移ったことを記す。久慶が同年六月二十一日に没したことも載せ、佐多氏の婚姻と所領移動を簡潔に伝える譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 264頁
佐多忠充の譜。父の佐多久慶に従って河辺へ移り、旧領を回復したことを記し、寛永九年十一月十二日に死去したとする。
(元和八年)六月廿五日 / 冊子 784頁
島津家久が佐多伯耆守へ、喜入摂津守・比志島宮内少輔から関東・上方の様子を聞いたことを伝え、越前宰相に関する京都の情報について細川内記へ届ける書状の取次ぎと返書の送付を命じた。自身は九月に出立する予定であり、本多上野介らから照会があれば事情を心得て応答するよう求めた書状。
天正三年四月廿一日 / 冊子 435頁
琉球使節慰労の犬追物手組で、義久・歳久・征久ら射手の配置と射犬数、検見・喚次を記す。琉球衆の桟敷を馬場西北の犬橋辺に設け、雪辱和尚も同席した。天界寺南叔が漢詩を作り、雪辱・東雲以下が和韻し、義久ら一族は和歌を詠んだ。本文日付は天正三年四月二十一日と読める。
天正三年十月廿一日 / 冊子 440頁
加世田で犬百匹を射立てた天正三年十月二十一日の犬追物手組。四角の射手、各人の射犬数、検見と喚次を記し、島津歳久・家久、新納忠元、島津忠長らが参加した。
天正四年四月九日 / 冊子 474~475頁
近衛前久の台覧に供した天正四年四月九日の犬追物手組。四角に配した射手、各人の射犬数、検見・喚次を記し、島津征久・歳久・忠長、喜入季久らが参加した。
天正四年四月十二日 / 冊子 475頁
天正四年四月十二日の犬追物手組。四角の射手と各人の射犬数、検見・喚次を記し、前久台覧のもと島津征久・歳久・忠長、喜入季久らが射芸を披露した。