伊地知重昌自記
天正二年二月廿五日 / 冊子 336頁
下大隅の戦が終息した天正二年二月二十五日、伊地知重昌が鹿児島へ参上した経緯を記す。垂水の辺りまで老臣らの出迎えを受け、船元では川上意釣に迎えられ、その夜義久に謁見して縫殿助の名を与えられ、伊地知家が繁昌したとする。
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天正二年二月廿五日 / 冊子 336頁
下大隅の戦が終息した天正二年二月二十五日、伊地知重昌が鹿児島へ参上した経緯を記す。垂水の辺りまで老臣らの出迎えを受け、船元では川上意釣に迎えられ、その夜義久に謁見して縫殿助の名を与えられ、伊地知家が繁昌したとする。
元亀三年九月廿七日 / 冊子 320頁
元亀三年九月二十七日に島津軍が早崎へ着陣して新城を落とした際、伊地知方の各城から島津陣へ内通した者を列挙する。新城一人、本城四人、田上城二人、垂水城九人の計十六人とし、矢文や使者によって連絡した人物名を具体的に記録する。
宝永二年十二月廿日 / 冊子 76~77頁/原整理番号 7
伊地知重昌は、宝永二年十二月、正月の椀飯と五節供の調製を、伊地知家に伝わる古式の書を基に御包丁人頭が行うことになった経緯を記す。それまで鎌倉流と称して担当した重信家には古い書がないと判明し、伊地知家の書を御包丁人頭へ示し、写本を提出して返却を受けたという。
万治三年正月吉日 / 冊子 72~75頁/原整理番号 1
『御旧式類抄』の冒頭で、元日から年中行事に至る島津家の旧儀を項目ごとに列挙する。年頭の出仕・社参・福昌寺との往来、御吉書・椀飯・三献、諏訪神事、琉球使節の接遇、元服や代祝などを挙げ、いくつかの項目には出典や人物比定に関する書入れを付す。儀礼の本文を一件ずつ記した文書ではなく、旧式の項目と注記を集めた目録的な部分。