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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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追録5-No.776記事旧記雑録暫定版確認度 高

宗信遺髪ヲ高野山蓮金院ニ納ム

寛延三年夏、重年が宗信の遺髪を紀州高野山へ納めるため使者を遣わした。四月十九日暁、福昌寺で島津久亮が継豊の代わりに焼香し、覺門・覺淵らの読経、遺髪の護守と送り出しを行う。総監鎌田政昌、側用人菱刈實詮ほか一行を列挙し、五月朔日出帆後の風波による津々の滞泊、二十八日兵庫港着、二十九日難波着を記す。六月九日に大坂を発ち、十一日に高野山蓮金院で遺髪を仏壇に安置した。十二日は僧衆五十口の勤行と政昌の重年代焼香、十三日は五十口の大曼荼羅供を行い、奥院へ遺髪を納めた。銅製の遺髪箱を木箱に入れ、石の供檀に納めたとの注がある。同日の空輪堂で僧二十口三昧・供養・誦経を行い、霊塔を建立して銘を記した。

登場人物
島津重年・島津宗信(慈徳院殿俊巖良英大居士)・島津継豊・島津圖書久亮・島津周防忠紀・島津大学久尚・島津主殿久柄・島津内記久映・川田伊織国祐・島津備中貴儔・市来左中政尚・覺門・覺淵・素禅和・兒玉利右衛門(代利右衛門)・鎌田典膳政昌・菱刈孫兵衛實詮・澁谷喜三左衛門貴通・鎌田太郎右衛門・二階堂森右衛門・有川勇馬・篠崎蔵太左衛門・山本猪右衛門・二階堂林左衛門・澁谷嘉納右衛門・故太・澁谷喜藤太・伊集院勘平・白井次郎右衛門・頴娃佐太夫・大迫彌兵衛・伊地知彦四郎・木藤五郎右衛門・吉井勘左衛門・弟子丸半右衛門・井尻次五右衛門・朝倉茂右衛門・岩下仁助・有川源蔵・村田元春・河野自哲・種子島十郎太夫祐行・島津貴信・入来院定勝・秀惠
宛先
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キーワード
島津重年、宗信遺髪、継豊、島津久亮、鎌田政昌、菱刈實詮、覺門、覺淵、福昌寺、五月朔日出帆、六月十一日、蓮金院、六月十二日、六月十三日、大曼荼羅供、奥院、空輪堂、霊塔
追録8-No.780会津進撃の戦死・手負名簿と京都本営の戦死手負書等送状旧記雑録暫定版確認度 中

会津の戦死・負傷と病院死を隊別に掲げ、国許へ書冊等を送る

雑録中の会津進撃に関する隊別死亡・負傷名簿と、京都本営の送状。九番・十一番・十二番隊等の戦死者を掲げ、十二番隊では三春の村人や庄屋支配下の者も含め、即死・戦死を記す。諸隊の死者には手負の後に三春病院で死亡した者があり、続く手負人数では深手・浅手・薄手と、負傷した日・場所を区別する。田村小太郎、伊佐敷金之進、加藤郷兵衛、上原正八郎らのほか、道案内、隊付夫卒、地元村人などを列記する。原文内の異日付や前の名簿との異同は残し、同名を別人として合算しない。末尾の十月四日京都本営送状は、戦死手負書一冊・降伏状一帖・問合二通を掲げ、去る九月二十二日に会津へ進撃して終に降伏したとの報知を述べる。通行允許を携えて到京した日須峯敬二郎ほか一人に封書を託して国許へ送り、披露等を取り計らうよう御国許陸軍所へ依頼する。死亡・負傷の区分と送付の叙述は各名簿・送状に帰属させる。

登場人物
京都本営、御国許陸軍所、各隊兵士・隊付夫卒・道案内・村民等、伊佐敷金之進・田村小太郎・肱岡藤八・小左衛門・富次・藤右衛門・勝三郎・林太郎・藤助・傳藏・木幡孝之介・福留嘉右衛門・加藤郷兵衛・加藤次左衛門・上原正八郎・川上彦八郎・園田勇吉・中嶋岩次郎・松藏・米良仲之丞・猪保壮七郎・川崎休右衛門・萩原強之丞・松崎壮八・喜之助・山本中助・竹内正介・藤四郎・山口彦八・西田藤助・諏訪次郎右衛門・川上四郎次・半右衛門・丸田喜右衛門・山之内次郎・榮藏・木原藤一郎・奈良原彌六左衛門・岩右衛門・米良清之介・吉井七之丞・川上嘉次郎・源八・西佐一郎・松元彦十郎・松太郎・佐々木清藏・種子嶋宗之丞・仲助・喜助・仲藏・市之丞・大脇源左衛門・益山次左衛門・清次郎・長藏・村山源左衛門・甚太・郡山甚後左衛門・山形龍次郎・向井納四郎・肥田軍右衛門・豊丸與藤次・武郷兵衛・簗瀬源次郎・村岡源助・毛利權之丞・筒井清五郎・左近允新六・川崎仲之丞・蒲生彦四郎・榎本源次郎・市来宗次郎・福島良介・讃良竹五郎・市成彦右衛門・金助・民助・加治木彦太郎・二階堂彦太郎・松田健四郎・竹内惣七・大山彌介・新納壮右衛門・木藤吉左衛門・小次郎・藤崎勇藏・山田直四郎・小出健齋・岩松喜介・白濱助之進・奥書輔・松方長作・飯牟禮休左衛門・梅北八郎右衛門・淵邊彦二・竹山藤右衛門・藤崎清之丞・和田乘太郎・廻新次郎・仁助・汾陽直次郎・肥後平八・梅北伊八郎・東郷已之助・谷村孫七・土師孫一・大山十郎次・淺田政次郎・川上源七郎・平田九十郎・有馬七郎左衛門・山口直右衛門・古川源助・川南東右衛門・種子嶋宇左衛門・畠山源七・桐野藤太郎・柏原吉左衛門・石原七郎太・曾木彦二・伊助・勘太郎・日須峯敬二郎
宛先
御国許陸軍所(十月4日京都本営送状)
キーワード
原780雑録会津進撃戦死人手負人数隊別即死戦死深手後三春病院死現地夫卒村民案内深手浅手薄手加藤郷兵衛九月廿四十四誤注九月二十二会津進撃降伏報知戦死手負一冊降伏状一帖問合二通日須峯敬二郎外壹人京着通行允許封送披露十月四京都本営国許陸軍所