愛甲玄昌季経覚
元禄十三年六月十六日 / 冊子 83~84頁/原整理番号 10
志布志出身の愛甲喜春について、名を季定、一名廣隆、号を玄徳としたこと、生年、修学、医業、士籍復帰までを記す伝記。都城の泰岳、津田曲桃庵、屋久島の如竹、江夏二閑らに学び、朱子学・医学・易・暦・韻鏡などを修めた経緯を詳述する。家系と困窮、地頭島津久茂や門人らの推挙を経て万治二年に侍講・邑士へ復したことを伝える。
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元禄十三年六月十六日 / 冊子 83~84頁/原整理番号 10
志布志出身の愛甲喜春について、名を季定、一名廣隆、号を玄徳としたこと、生年、修学、医業、士籍復帰までを記す伝記。都城の泰岳、津田曲桃庵、屋久島の如竹、江夏二閑らに学び、朱子学・医学・易・暦・韻鏡などを修めた経緯を詳述する。家系と困窮、地頭島津久茂や門人らの推挙を経て万治二年に侍講・邑士へ復したことを伝える。
文化13年7月26日(本書・年は蓋紙)/8月18日(到来) / 冊子 496頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1510
白木御文書八番箱中十三番。蓋紙は文化十三年子八月、御記録所宛で、順姫誕生月日と閑姫生母の仰出の問い合わせを標題とする。朱書は「順姫様御誕生月日・閑姫様御生母被仰出付而之事」、八月十八日到来、肝付孫兵衛ほか二人便と記す。本書では順姫の誕生日を文化十年酉十二月十二日と掲げ、但し御内実は同年十月十二日と区別する。閑姫の生母は佐藤氏女と記す。この通り以後間違いのないよう帳面に記し置くよう仰せ出され、承知するよう申渡し、御記録奉行へも申渡したことを伝える。智姫様・お八百の御方に申し上げ、その元でも申し渡す件を取り計らうよう求める。七月廿六日、新納内蔵から川上右近・町田監物・嶋津安房・鎌田典膳へ。右二通を一冊とする末注がある。順姫の記録上の生日と内実日を統合せず、既読1310・1322の母系記載との違いも留保する。